乱蘭通信212号・思い出すまま  ↑prev next↓

 十年経つと、古代の見方は変わる。
 
 古代の研究が進み、十年経つと、今までの認識の見直されます。古代史の面白いところです。
 聖徳太子と名前は教科書から消えました。「厩うまやの皇子」に書き改められました。飛鳥時代には聖徳太子という敬称はなかったからです。時代が降り、平安時代に聖徳太子信仰が高まってからの名称だからです。多分に藤原政権への反発が、聖徳太子信仰を支えたものと思われます。
 
 古事記や日本書紀の記述は、中国影響が大きく、いち早く男性社会進んだ中国の社会の影響故、男性中心に描かれています。当時母系社会だった日本とは、認識は違うはずなのです。中国からの政治的圧力は強かったものと思われます。日本は、巫女として、また女王として、女性は政治的指導者としてその存在は大きかったはずです。中国を意識して軽視されてきたのです。研究が進めば、違った解釈が出てくると思います。
 男性が大王や天皇の座にあっても、その母の権威はそれ以上で、その発言は大きかったのです。それを最大限利用したのが、藤原政権です。
 
 また、大量の渡来人が日本やって来て弥生文化が開かれた。という認識は否定されつつあります。縄文人が、渡来人の真似したり、朝鮮半島で学習して、弥生文化を開いた。というのが、最近の定説になりつつあるのです。
 
 更に、縄文時代は一万五千年続きます。東日本の縄文人が、西日本より人口が多く文化も栄えていました。その理由があらたな視点から解明されつつあります。縄文初期は九州、西日本が先に進んでいたのです。しかし中期に、大事件が起こります。巨大な鬼界島カルデラの大噴火です。この家財倍により、九州、西日本は壊滅状態になったのです。鹿児島で一メートルの火山灰が積もったという激烈なものです。そこに住んでいた縄文人は丸木船で各地に離散、千年は自薦は回復しなかったのです。それ故、縄文文化は西から東へ主流派移動したのです。
 
 などなど、十年経つと古代の認識が変わります。
 
 縄文文化と米作
 最近の研究で、大量に弥生人が日本やって来たのではなく、縄文人が農業を学んで弥生人になった、ということです。縄文人は、丸木舟を巧みに操り、日本海の海流に乗り、縄文人は大陸と行き来していた。殷王朝に縄文人の痕跡かあるし、殷王朝の物品が日本でも発掘されています。
 三内丸山遺跡の、栗の栽培とか、縄文中期から、初期的な農業は始まっているのです。
 焼きは畑農業で、陸稲は五千年前辺りから、作られはじめています。
 
 しかし、日本では農業が主力になるのはずっと遅れるのです。縄文人は朝鮮半島などに行き、農業の持つ可能性は、早くから知っていたのです。しかし、それを積極的受け入れようとしなかったのです。何故か?それは農業のもたらす不利益に気付いていたからではないでしょうか。
 
 その一番が自然を破壊する。ということです。森の少ない中国大陸に行き、唖然としたのではないでしょうか。日本の自然環境の違い、自然の恵みを大切に駆る日本との違いです。中国大陸が森が少なくなったのは、農業に依存する社会だからと、直観したのです。それ故、農業の導入を控えたのではないでしょうか。
 
 日本の政治、社会
 野党の立憲民主党と自民党の代表選挙終わりましたが、残念です。日本の政治の問題点は、女性議員がトップではないということです。ジェンダーとか口先だけ女性の地位向上を掲げても、実際に政策決定者が男性では、全く意味がないということです。
 女性差別の問題は、毎日の習慣の問題です。同じことをやるにしても、男と女ではやり方が違うということです。理性ではなく感覚的なものから進めなければ、意味がないのです。
 
 男と女の違いは、競争と優しさ共存の違いです。男はオスとして他のオスとの常に戦いが前提になります。それに対して女はメスとして、子育てが本能的に行動の原点になります。
 独裁政権が世界中にありますが、その本質は競争、戦いです。男性原理が独裁政権を支えているのです。
 逆に女性が権力を握った社会は、共栄共存が基本となります。女性が国会議員などで、権力の一部を占める割合が増える程、平和を志向する政治になるのです。日本はまだ高度成長期の戦いの社会からまだ脱却していないということでしょうか?
 
 ですが、日本は古代の母系社会の伝統を多く残しています。その後「家」制度に移行し、女性の家内での地位が確定しました。社会の中心なる女性が少ないからといって、女性の地位が低いわけではありません。
 ナンバー2として、実質的な権力は女性が握り、全体をコントロールするという社会風土に甘んじているのです。その方が社会からの批判を受けずに済み賢いやり方だと、されて来ました。
 なかなか難しいです。客観的な尺度、国会議員が何割、社長が何割とか、だけでは言い切れないからです。
 
 被団協、日本原水爆被害者団体協議会、ノーベル平和賞
 このニュースが飛び込んで来て、まだ平和賞貰っていなかったんだ、と思った。被団協が貰わなくては、平和賞の意味が軽減してしまうような団体です。広島、長崎の被爆以来、七十年以上、核戦争は起きていたない。この団体の地味な活動の成果です。
 現在、ロシアは、ウクライナ戦争で、戦術核を使うと脅しをかけている。これでまた一つハードルが高くなりました。一度使えば、ハードルが下がり、さまざまな戦争で、核兵器の脅しが蔓延することになります。その意味でも、今回のノーベル平和賞委員会の決定は大きいですね。
 
9/22 カニ坂フェスタ スタッフ打ち上げ 
 今後の中国の政治経済
 習近平という馬鹿な指導者の下では、泥船のようにズブズブと、力が弱まり泥船のように沈んでゆくでしょう。共産党員は上の命令に従う事しかできないロボットですから、何ら新しいもの思いついても、発言する勇気は持ちません。今だに民間企業ではなく、大企業国営企業優先です。ロボットが運営するこれらの企業からは、デフレを乗り越える為の新しいアイデアは出て来ません。
 
 不動産バブルの崩壊に始まったデフレ経済からの脱出は、民間の自由な発想以外の方策はないのです。大多数を占める人々の小さな活力、その集積こそ、この不況からの脱出のエネルギー源なのです。民間の力を馬鹿にしている現政権では、無理なことでしょう。
 
 日本を見習って欲しいですね。例えば70年代から始まった一村一品運動、これが現在の観光を支えています。日本中何処にいっても名物があります。外国人にとり、どの村に行っても飽きることない魅力があります。田舎の村の努力は小さなものですが、今や観光大国なった日本を支えているのです。
 
 考え方変えれば、幾らでも新たなものは生まれません。アメリカに対抗するとか、政治主導の考え方を忘れればいいのです。急速に伸びる高齢化、介護産業などはこれからの産業です。他民族国家ですので、日本の一村一品運動のような努力しなくても、観光名所や名品は豊富ですがね。
 今後は習近平共産党が、中国の足枷なのです。潰すしかありませんね。
 
 景気低迷の中国、庶民は悲観する必要はない。
 不動産バブルが崩壊してデフレ不況に陥った中国、僕は悪いことではないと思っています。人々は馬鹿買いから、何事も節約を考えるようになりました。広い視野で「豊かさとは何か?」「幸福とは何か?」と考えた時、悲観する必要は全くありません。
 
 半世紀の前に経済不況といえば、下層の人々に餓死者出ていたのです。今は不景気と言っても、そんな人はいません。半世紀の間に、それだけ豊かになったのです。それを噛みしめれば心豊かな過ごすことはできます。
 節約旅行でも、十月の連休には、大量の人々が旅行できるのです。金儲けに自分を見失っているより、家族や友達と、行きたい場所に行き、美味しいものを食べる幸せ。映画を見る楽しみ。娯楽施設に行く楽しみ。、、、、
 
 資本主義であろうが社会主義であろうが、基本は変わりません。細やか、豊かさを心で受け止めること。それが基本です。中国はそこからの再出発です。
 
 追伸
 中国と、日本の長いバブル崩壊と長いデフレ期との違いは、何でしょうか。日本では大衆文化の充実です。日本食やアニメが世界を席巻し、日本人は経済は低迷したが、文化的に落ち込まずに済みました。
 さてさて、中国にそんなものがありますか?文化統制している中国共産党は、その意味でもガンですね。心豊かさを求める中国庶民の欲求は、歴史的必然のものです。恐らく庶民軽視の共産党は、圧倒的多数派である庶民の力前では、恐らく「中国共産党崩壊」する方向には動くでしょう。それが歴史的必然です。
 
 
 西田敏行亡くなる。
 僕と共通のことあるとしたら、出身が福島県ということですね。地震や原発被害は、個人で対処手間切る問題、起こってしまったことは仕方ない。そこからの復帰は僕らの仕事です。
 あらぬ風評被害には腹が立ちました。特に韓国の一部の人々や、中国政府の政治利用は、心底腹が立ちました。
 
え・ちえ 
 荒れる辰年
十二支の中で辰だけが空想上の動物です。辰年は普通では起こらないことが多く起こる年とのこと、その通りなりました。
 その一つは戦争。ウクライナに続き、パレスチナ、イスラエルの戦争です。こちらは戦後政治の間違った判断の結果です。キリスト教先進国の偏見と差別がもたらして戦争です。もう一つは世界各地で選挙が行われています。日本も衆議院選挙です。ようわからない。投票すべき人がいない。選挙には行きますが。
 一番の関心事はアメリカの大統領選挙です。世界に与える影響が大きいですからね。なかなか予想は出来ない。悩ましい選挙です。
 
 トランプが勝った選挙は、八年間のオバマ政権の後で、真面目な政策に変化を求めた人々が、トランプに流れたのだと思います。今回は、トランプの奇抜さは、それ程新鮮には映らないのではないかと、僕は見ています。しかし、予想出来ないのがアメリカ、さてどうなりますか。
 辰年もあと二ヶ月。心穏やかに行きたいものです。
 
 

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つわぶき