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白   米


 日本人にとり、白米は、お祭りの時しか食べられない贅沢品でした。毎日、白いお米を食べる事ができるのは、特権階級の人だけだったのです。
 明治以降、豊かになるという事は、毎日白米を食べることと、同じ意味だったのです。戦前は麦飯は食べることができるようになり、麦の入らない白米を食べる事ができる様になったのは、六十年代の高度成長期以降です。  現在のブランド品嗜好の現代人は、昔の人から見たら、人間ではなく、神様に見えるでしょう。

 なら何を毎日庶民は食べていたか?お米は玄米、ヒエ、粟などの穀物と野菜などを入れた雑煮でした。しかしこちらの方が、栄養バランスが良く、ビタミン不足による脚気になる事はありませんでした。

 奈良時代、白米を食べる事ができたのは、高級貴族と高級公務員だった僧侶でした。中流以下の貴族は玄米食だったのです。高級貴族は魚や肉なども食べていたので、脚気にはなりませんでした。しかし、僧侶は肉類禁止で、ビタミン不足の脚気になり、僧侶をやめ実家に戻る事が多かったのです。

 時代が降り、江戸時代。江戸の町人や下級武士も毎日白米を食べる事できたのです。それが江戸ら住む事のステータスだったのです。裕福な町人や高級武士は、魚などおかずも豊富でしたが、庶民や下級武士は、白米と少量の野菜のみでした。そして脚気になったのです。これを江戸病と当時の人は言ったのです。
 地方に行けば、様々なものが入った雑炊が主食ですので、ケロリと江戸病は治ったのです。

 なぜ白米を食べることが、できなかったのかという疑問が残ります。弥生時代から江戸時代まで、肥料は有機肥料しかなく、連作障害で毎日白米を食べるだけの収量が取れなかったのです。化学肥料が生まれて、初めて毎日食べることができるようになったのです。

2025.6.20. Mamoru Mut

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