病状や葬儀等の経緯
 僕の知る範囲で少し詳しく。(僕とは三十年、展示会の大工、大道具の仕事仲間。そして、ここ十年は、庭劇場のホームページ担当。)
 
 
 60歳をすぎた辺りから、肺気腫を患っていました。それでも大道具、展示会の大工の仕事は続けていました。三年程前に親方の役目をやめると言い出し、体が仕事について行かないからと思っていました。
 
 今年に入り、寒の季節に入り、腰痛を訴えるようになり、接骨院に通っていました。これがガン起因であることは、気付かないようです。
 毎月やっている自宅でのパホーマンスを一月はやり終えました。二月に入り、僕に庭劇場で休演する旨の知らせを頼まれました。そして、3/12、三月の公演の中止の文章をメールで受け取りました。
 その文章がいつもよりシビアな言葉遣いなので、なにかあらると直感しましたが、僕もガンとは思いませんでした。恐らく彼はこの前後、病院で検査してガンが発覚したと思われます。
 
 その後メール、電話の連絡が途絶えます。まわりまわって、「ガン」「入院」等々の情報は細切れで伝わってくるのですが、詳細が分からりませんでした。
 3/23(金曜)、ようやくの夜遅く入院先が分かり、翌3/24(土曜)、面会して実態がわかりました。メール電話で配信しました。
 
 ガンの進行が早く、面会し、骨と皮ばかりの姿に、先は長くないとわかりました。北が面会して一週間、がん発覚から二十日ほどで、他界してしまったのです。本人の意志で、葬式はしないことになりました。
 
 僕の連絡で翌2/25(日曜)は、睦さんはじめ多くの人が面会に訪れました。月曜、火曜と日曜よりは減ったものの面会人は途切れることはありませんでした。
 翌3/28(水曜)、再び病院に行くと、「体力の消耗もあり、面会遠慮の旨」の手紙を受け取り、それを配信しまた。
 
 3/31(土曜)、「栲さんですが、今朝から血圧下がり、意識レベルが下がりました。栲さんは苦痛は感じず寝ている状態です。」を付き添いからの連絡を受け取り、メールを配信。睦さんはじめ数人が病院に駆けつけました。
 午後三時過ぎ、駆けつけた一人から、永眠したとの電話をもらいました。
 夜、本人の意思により、葬式は行わない。との旨の連絡をうけとり、メール、電話で配信しました。
 
 4/3(火曜)、立川羽衣の火葬場にて密葬。
 睦、榧、母子。生活レベルでの付き合いのあった古い友人。付き添いなど、十五人程のみの立会い。
 
 経緯は以上です。
 
 
 
 後は僕の私見ですが
 今となっては想像するほかありませんが、ガンと発覚して気持ちの整理が出来ていなかったからという見方も出来ますが、若い付き添い以外には、十日間しい僕が面会するまで、十日間程、あまり友達に知らせなかったことは、最後のみすぼらしい姿を人に見せたくなかった。のではないでしょうか。
 
 友達に出来るだけ心配をかけず、ひっそりと逝きたかった。そこには、少々過激なパホーマンスをする、首くくり栲象、あるは、古澤栲という幻影を犯したくない、美意識が働いたからではないでしょうか。最後まで格好つけたかった。と僕は思っています。
 
 折しも、満開の桜と満月に合わせ。すごいやつです。
涙、涙! 4/8  まもる