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7月の庭劇場 

「 雪  女 」

7月24日(水)~27日(土)


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 いまにして思えば、生まれてきたことは撥(ばち)にあたった、弦のようなものか。《ばちあたりなヤツ》に、罰を充てているが、罰でなく撥が正体と思う。要はどこかに撥があり、どこかに弦があり、それを真を受けているわたしがいる。

 小泉八雲の《雪女》は、男を助けるさい、なんと約束させたか。男は覚えていてもつい忘れ、いや忘れてはいないが、つい自慢気に、雪女との出逢いを言ってしまう。

 さて、撥は、なんでか体当り、弦は響いて、真に受けて、見てる、聴いてる、ヤツがいる。

 ひごろ。庭で触れている重力の量感に、感想を日本語でと、たずねてみましまた。 《ごきげんようさようなら》。

 ちょっと拍子抜けでしたが、この地は、脳細胞の庭ではない。草木国土、ことごとく仏性の庭です。撥も、弦も、わたしも、庭も、脳も、実感は下方に沈んでゆく。 重力は小舟、一体でした。底はない。空だ。宇宙だ。 記憶もうすらいだ海が溶け込む空。 ドンマイ、マンダム、なみあみだぶつ。愉快だせ。

          首くくり栲象

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