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首くくり栲象・たくぞう/庭劇場「能書き集」 
全編、テキスト 
 



 
首くくり栲象氏 お知らせ
 
 
アクショニスト 首くくり栲象(古澤 栲)さんが  3月31日(土) 午後 肺がんのため70歳で永眠されました 故人の遺志により 本日 密葬を執り行いましたこと ここに謹んでお知らせ申し上げます
 
栲象さんのご冥福をお祈りいたします。
 
             2018年4月3日
             付き添い一同
 
(付き添い一同は、がん発覚以来、身の回りの世話を申しでた面々です。)
 



 
ホームページ担当、武藤からのお知らせ
 
2018年3月31日午後、首くくり栲象(古澤 栲)は永眠いたしました。
 
今年に入り、腰痛を患っていたのですが、治癒が余りにも長引くので、精密検査したら、ガンが発覚しました。しかも全身に転移して、治療不可能なまでに進行していました。
 
折しも三月三十一日は、旧暦では如月の望月の日、煌々と十五夜が満開の桜を照らす日です。
西行法師が願っても果たし得なかった夢を、首くくり栲象は実現する結果となりました。
 
昨年の12月の庭劇場のタイトルは「西行」何やら因縁めいたものを感じてしまいました。首くくり氏はそこまで計算したのか、、、西行を超えた、、、等々。
 
少なくとも、月と桜は、首くくり氏の崩壊、その悲しみを和らげてくれたことは、確かです。
 
             永遠の友に合掌!
                まもる 4/3
 



 
 
2018年
 
 
3月の庭劇場、休演のお知らせ
 
 それは世界のおのおのの民族で、あまたのダンスがあるなか。それは日本の舞踏者であり、ありつづける人が、その生前、われわれに語りつたえた。
 
 舞踏とはほんとうの人間の生活を探すための一手段なのです  
 
 その呟きは、ときの時代で死語のように、水のようで、地中へ深く潜り。ときに日本の四季の郷で、静かに地面を濡らす小雨と交っわって、湧き水ともなって、あたりのなかに、きらきらと光っている。 
 
     休演        首くくり栲象
 
 
1月の庭劇場
 
『 木炭の拍手 』
27日(土)~ 29日(月)
 
冷えは体に毒です。いま二十四気節の大寒。庭劇場はその夜の大気が、客席に土の舞台き覆っています。こんなおりに庭の開催はいかなものかと、そのつど思案するのです。
 
先日。早朝。ガラス戸を開けたましたら辺り一面、深い霧に覆われていました。霧にむせぶ街からの機械音は反応過大の機能が仇になってか遠退き、庭の隣の雑木林の枯葉の動く音が、サラサラと音を立てていました。 
 
客席の暖房は火鉢一つ。木炭は赤色の炎で、耳をそばだててる仕草でパチパチ鳴らしています。パチパチ、バチバチ。冷えきった大気で神様は降りてくる。
 
 
 
2017年
 
 
12月の庭劇場
 
『 西 行 』
22日(金)~ 27日(水)
24日、25日(休演)
 
 
このいちねん、いままでの庭の日々のなかでも印象的な年になりました。
 
それはときに日々の庭の行為で、わたしがではなく、からだがあがなえていることの透明なエネルギーを、からだの透明な呼吸で感知しているときがあったからです。
 
世のなかにあらわれた蝉のひと夏。
 
 
 
 
 
11月の庭劇場
 
『 約 束 』
26日(日)~ 30日(木)
 
足で、土を擦る。
風がやって来ると野鳥
の囀ずりが揺れ
 
蛍の光
窓の雪
 
 
 
10月の庭劇場
 
『 姿 』
24日(火)~ 30日(月)
   27日、29日(休演)
 
 日本海に面した北の露天での体験です。背後はそそりたつ岩場で、前方は地平線まで何一つふさぐものはなかった。
 
 露天の湯に浸かっていたのは、わたしだけではなく数人の男たち、海に沈もうとする日没を眺めていた。背後からポシャン、ポシャンと、子どもが湯に入ったのか、二度、それらしい音を耳にした。露天の入り口は前方で、海を見ていても視界にはいるので、わたしはなにげに振り向きました。そこには猿が二匹、目をしばたたせて湯に浸かっていました。二匹の猿はわたしと目を会わせても動じる風もなく、海に浸かってゆく夕陽を眺めていていた。
 
 夏はとうの昔に終わりました。庭はしだい、しだいに寒くなる。夕陽は海で正座している。この庭からも奈良や鎌倉の大仏さまのように、その姿を眺めるこかとはできる。
 
 
 
 
 
9月の庭劇場
 
『 夏の息 』
23日(土)~ 28日(木)
    24日(休演)
 
 人が息絶え絶えの有り様を、虫の息と形容しまが、その喩えの元の虫の息を耳にする人は稀でしょう。
 わたしが毎月開催する庭劇場は、小さい庭ですがそれなりに草花と共存の虫たちも葉の茂みや、軟らかな土の中で生息しています。
 ある日の早暁。蒲団に横たわっていますと、庭でなにものかの息が、空にむかってなにごとかを奉じている、といった空想的な気配を感知しました。庭に面したガラス戸を引き開けると、数ヶ月まえの散歩時、信号機で立ち止まっり、足下で目に留まり、手にとった黒色の小石が、庭への下がり口の濡れ縁の上に、そのとき置いたままで鎮座していました。鎮座と形容しましたがwide、奥行、高さ共々三センチほどの小石です。しかしその形と風貌は、わたしには計り知れない重さを有する大岩を想像させるのです。
 
 まさかこの小石がと、しかしこの小石は食もなく、同然として欲もない。空気を汚さず、この世に静謐として生存している。その姿はこの庭の生存者である草木だけでなく、風や雨や日照りや干ばつや土、この夏わたしはお目にかかれなかった空にたちのぼる入道雲も含め、それらがこの世で遺す一期一会での黙しを、早暁、この黒い小石はわが身を触れる仕草で採集していたのではないかと思った。
 
 
 
 
8月の庭劇場
 
『 夏の世や庭劇場の土の色 』
23日(水)~ 25日(金)
   24日(休演)
 
 庭の土の上に、蝉の死骸がある。その死骸に二ミリほどの蟻が群がっている。地面にはこの夏、羽化するために這い出た坑道の孔が幾つか点在している。鮭は産まれた川に戻る。蝉だってそうかもしれない。
 土は不思議だ。穴に種子をまく。種子は土から養分をもらい変容し、成長し、やがて植えた人に収穫をもたらさんと実る。
 それだけではない、かっては「お袋が土の下で云々」という言い方があった。土は生きている者に死者の声を届けている。
 
 昨年の真夏。富士山の麓の森で半日、蝉の声を聞いていた。森の蝉にはそのおのおの、エリアに指揮者格の蝉がいて、他のエリアとの塩梅を図り、タクトを振っているよるに思えた。
 それにしても、昨年の夏はどこにいったのろうか。またこの夏とどんな繋がりがあるのだろうか。こころを澄ませば、土の下の声は月夜にほてって甲高く、きっときっと聞こえている。
 
 
 
7月の庭劇場
 
『 哀  愁 』
26日(水)~ 29日(土)
 
 昭和31年に山田真二が歌った歌謡曲の「哀愁の街に霧が降る」。作曲は吉田正。作詞は佐伯孝夫。その一番の歌詞をこの場で綴れば…。 
 
「日ぐれが青い灯つけてゆく 宵の十字路 
泪色した霧がきょうも降る 
忘られぬ瞳よ 
呼べど並木に消えて あぁ哀愁の街に霧が降る」
 
 7月の庭劇場で、この歌が響き渡っていた。
 
 
 
 
 
6月の庭劇場
 
『 石を見つけた 』
24日(土)~ 29日(木)
   26日(休演)
 
 数年前のこの時期、肺気腫で二週間ほど入院しました。退院は昼間。力なく下り坂で脚を運んでいた靴底に、いきなりイモリが飛び込んで、潰してしまった。人が死んだらどこにゆくのだろうか。梅雨の入院で退院時は初夏の暑さ、ぼんやり、そんな思いを巡らせていたやさき、気が咎めたのか、イモリの逝くところにわたしむも行くのだ。と念頭したのでした。
 では踏み潰したイモリの赴く処はどこなのか…。
 
 それから数年経ちました。
 
 この4月の28日。山梨県の韮崎市の穴山町にいきました。八ヶ岳に似ているので「にせ八ツ」と通称されている標高1.704メトルの茅ヶ岳を仰ぎ見に出掛けたのです。最寄り駅の穴山駅は七里台地の上にあります。七里台地は釜無川と塩川にけずられつて出来た台地で、あの辺りの線路は切通して引かれている。ホ―ムは底、改札口は長い階段を登らねばない。十分ほど歩くと台地の縁に出て道は急に下る。向かい合おう茅ヶ岳の裾野。その間に広がる平地には一本の街道と耕地が面々とひろがっいる。水路は高台の耕地から下方の耕地へと流れるように設置され、水はとうとうと音をたて流れていた。畦道に様々な形の石が山をなして積み上げられ、一群のなかに丸い石をわたしは目に止めた。
 
 甲斐地方には丸石を祀るの民間信仰があることは、道祖神を度々を見て知っていました。わたしの目に飛び込んできた石は、石の祠に祀られていた丸石神と見まごうことなき、丸い石なのです。丸みは河流に転々としてその勢いで摩滅し丸くなったのではなく、これぞと託された石に、石仏を産み出すかのごとくに産み出された、人痕が施されれていた。わたしはその石を一群の石の中から畦道に運び、眼前に置き、この石の旅への一歩として一度転がした。
 
 さて、イモリとわたしの行く末の話です。石は何億何兆もの生き物の行く末の珠を宿している。わたしは夢に見たのです。その丸石が庭劇場の椿の根元でシャボン玉のような夢を次から次へと宿し飛ばしている夢を。
 
 
 
5月の庭劇場
 
『 Free Document』
25日(木)~ 31日(水)
  26、29、30日(休演)
 
 さくねん、蝉の声を耳にしたのは7月にはいる前だったと印象している。真昼に図書館への道すがら、わりと広々した十字路を曲がりかけたとき、頭上のこんもり繁った木々の茂みで蝉の声を聞いた。
 白眉はその夏の八月半ば。富士の裾野の森のなか、溶岩の岩場に腰かけ朝から夕暮れにいたる終日、晴天の空に沸き上がる雲の姿を眺めながらの蝉の合唱でした。その合唱は周期的で幾つかの森で競いあって聞こえ、青い空に浮かぶ雲の大群に届いている様に思えた。
 
 ふと、座っている溶岩の足下で、小さな紅い可憐な花弁が目に入った。五センチほどの茎に小枝を螺状に伸ばし、先端に紅い小花を多数つけていた。
 しばし目にしなかったねじばなのようだった。この広い富士の裾野の中でたった一輪、咲いていたところにわたしは座った。それは偶然であろうが、それはなにかきっと意味のある偶然なのだと秘かに認識していた。
 
 
4月の庭劇場
 
『 春 の 食 事 』
26日(水)
 
 ときおり、わがやにキリスト者が来訪します。集会で提供された食べ物でしょうか、携えてきます。その人はわたしの40年来の友人で、イエスさまに救われて、祈り。イエスさまに尋ね。聞こえるはずのない声を聞き。わずかな年金と少々の介護勤務で、その日その日、みずからに(イエスさまに)ほどよいしあわせを与えている(与えてられている)女性です。
 
 さて、わたしも早起きをします。まず祭壇に灯明し、線香を燻らせ、リンをうつ。花瓶の水を鉢の挿し木に滴し、手製の竹箒で庭を掃く。すると隣の柏の木で待機している野鳥が囀ずりだす。砕いた海老センベイを柏の付近へ、さらに細かく砕いて周辺に点在する十七の蟻の穴の上にも撒く。
 今朝は晴れて暖かい。蟻の巣穴のまえで、すぎた寒さを偲び『早春賦』を小さな声で歌う。12月、1月、2月、3月と庭は寒さだった。いま椿の花びらも暖かな空気のなかでほくほくと散っています 。
 
 
3月の庭劇場
 
『 寒さの鋭くとがった真昼、定めた時があるのだろうか、椿は身を粉にして、蕾を開花させているように思えた。 』
27日(月)~ 30日(木)
 
 この春、庭に石が産まれた。馬鈴薯のメークィンに姿、大きさ、そっくりな石が二つ 。
 
 寒い朝、庭に霜柱が立ちます。それまで地中に埋まっていた石が霜柱の力で浮き上がる。毎朝、足袋で防寒した足でわたしは庭を動き廻わる。指先で霜柱をラッセルしてゆく。そこで浮き上がってきた石と足の先が出逢う。いま庭一面、何度目かの霜柱で掘り起こされ、小さな凸凹を造って固まっています。その凸凹の上に二つメークィンに似た石ころは、無邪気そうにごろごろと回転しています。
 
 深夜、庭を徘徊するわたしの足の先は、どちらかの石ころ当たる。庭のところどころ、石ころの十数倍の窪みが、幾くつかできている、その窪みへ、やはり石である、地面にドでかく音を響かせ、まるで王さまのような風体で、ゆったり底へと転がるのです。
 
 
 
2月の庭劇場
 
『 二月の雲をそばにおき、その体を叩きたい 』
22日(水)~26日(日)
 24日 休演
 
 さくねんの夏だ。富士の裾野の森にいた。間近ゆえ森の中ゆえ富士山は、木々に視界を阻まれて見えなかった。わたしはかって深いマグマから噴出したであろう溶岩に腰かけていた。蝉の群声は鞴の呼吸のような間あいで、森のぜんたいに遊覧していた。巨大な雲も。
 
 テイプルの上のコップに挿したる薔薇は、赤い花弁を垂らしている。その脇に小さな蝋燭が灯り、短い線香が一筋の煙をのぼらせている。いまこの庭劇場の庭で眺める雲は二月の雲。あの雲を間近におき、間近で叩けばさくねんの、過ぎた巨体な時間へと谺するだろうか。
 
          
 
1月の庭劇場(2017年)
 
『 象の話 』
1月27日(金)/28(土)/30日(月)
  29日 休演
 
 舞踊家であり、振付家である黒沢美香がなくなったのは、先の12月1日でした。わたしはみとったひとりです。
 その日の午後、ある演出家にその事実を伝えました。演出家は間髪おかず「今朝方、何故だか分かりませんが、美香さんが書かれた、こんな文章を読んで勇気づけられていました。」と記された返信メールには、黒沢美香の一文が添付されておりました。
 
 『活動は火のように飛んでいき、どこか誰かによって感知され遠隔にも受け継がれている。その火を言いたい。火を知ったなら消すわけにいかない。火傷が誇りで源になっている。』
 
   2017年の庭劇場は、この黒沢美香の一文を携えて開幕します。
 
 
 
2016年
 
12月の庭劇場
 
『 栽培と方丈記 』
12月26日(月)/28日(水)
  27日休演 
 
 わたしは庭で月を眺めていた。観月である。空にブルーがいく面か残っていた。たとえば、わたしが昨じつ亡くなっていたとして、今、この月を眺められなかったことに、期待するほどの無念で、心を動かしてゆくだろうか… 
 
 この夏の蝉は、この庭の土に生まれ、かっ活きかっ結び鮮烈に消えていった。何故にそんなややこしい眺めかたをしたのだろうか?
 
 数日後の朝陽の光が汚れた窓のガラスに、庭木や野鳥の姿を影絵のように映し出していた。戸を開け放つと野鳥の声が、けたたましく飛び跳ねた。わたしは庭におりる。地面は凍って霜柱がたっていた。陽射は窓枠の最上段のガラスにまばゆく登るている。あばらな家の
 
 
11月の庭劇場
 
『 見えない神さま 』
11月29日(火)~30日(水) 
 
 群馬県前橋市の粕川という地域に、豊穣を祈願して田んぼに水を撒く風習がある。その水は水の種で、中に見えない神さまがいる。
 
 わたしは庭劇場の庭におりる。そのときの庭の空気を吸いに降りる。
 山の水をのむために、その山を登るように。
 
 
10月の庭劇場
 
『 る の 光 』
10月27日(木)~29日(土) 
 
 せんじつ、インドネシアのジャカルタで月をみた。満月です。ビルの屋上から眺めたのですが、そのときコーランの声明がマイクを通して、あたり一帯に響きわたっていました。コーランは満月によく似合っている。
 そのことをそばにいたインドネシア人に云わなかったのですが、眺めている満月を、日本でもときおり見かけます、と声にした。それを聞いた日本女性がクスクスと笑い、その意訳を聞いたインドネシア女性はクスッと笑った。
 
 太陽は一つ、月は複数。その輝きはジャカルタの夜空を、まろやかに匂いたたせていた。
 
 
9月の庭劇場
 
『 か く れ る 』
9月28日(水)~29日(木) 
 
 台所の隅に置いてあるぬか床の樽。その中に大根、人参、かぶ、きゅうりなどの野菜が隠れている。食べごろと見計らい、右手をぬかに挿入し、触れたもの引き上げる。
 
 きゅうりだ。きゅうりには糠がたっぷりとついている。それを左手で搾りおとす。
 
 この庭劇場の庭には身を隠す場所が点在する。
 
 土を、踏む。わたしが足袋のその先に、繁みの中。ちんちん。鉦叩きが音をたてて隠れている。
 
 
 
8月の庭劇場
 
『 夏 の こ け し 』
8月29日(月)~30日(火) 
 
 先日、大雨の中、庭劇場を開催した。その前日、「初めての者ですが、あす、庭公演をやっていただけますか」とメールが入った。
 
 そのあした、夕方からポツ、ポツリと雨が降ってきて、開演時は大雨となった。初めての人は青年ふたり。雨の勢いはさらにました。濡れ縁を見る。ガマガエルが座っている。こうべの先には蝉の幼虫が羽化の態勢をとっていた。小さな蟻もその周辺をせわしく走っている。部屋の方では灯りを軸に、カナブンが数匹ぶんぶん羽音をひびかせて周回していた。
 
 ふと客席の方角をみた。ふたりの青年は一つ傘の下で身を寄せて雨を避けている。それは二体のこけしのようでもあった。わたしも雨のなかとりたててなにをするでもなく、いずれ吊ってゆくのだろうと、それまでは客席の青年を倣い、こけしのように立っていようと雨を受けていた。
 
 
 
7月の庭劇場
 
 
『 よ し か わ 』
7月27日(水)~29日(金) 
 
 むしあつい梅雨期の昼、近くの図書館に出向く。途中、若い女性の声がわたしの名前を呼んだ。振り向くと知人の娘さん。後ろでご主人とおぼしい青年が赤ちゃんを抱いていた。
 「息子です。」
お母さんになった娘さんは、赤ちゃんを誇らしく紹介してくれた。
 
 赤ちゃんは。そのときを覚えているだろうか。たとえそのとき覚えた、としても、乳の味を忘れるがごとく、やがて忘れてゆくだろう。忘却は、そのときどきを、赤ちゃんに、懐かしさを宿す、玉をのこして。
 
 
6月の庭劇場
 
『 耳 の い ち に ち 』
6月28日(火)~30日(木) 
 
 わたしの一文も、また庭での行為も、その日そのときかぎりのものなのです。そのよる、部屋はだれも住んでいないかのような、家だけが棲んでいるかのように軋んで、軋む音をあたり一面に響かせていました。この傍若無人な音を、庭はどう思っているのだろか。部屋君と庭君に無視されたかのような、よるしのじまの時間帯。身をこたつの中へ隠し、聞き耳をたてているわたしは、ひんやりとしたきもちでいる耳の姿をしきりに想像していた。
 
 
 
5月の庭劇場
 
『 蝉 の だ ん ま り 』
5月24日(火)~26日(木) 
 
 真っ暗闇を歩いたことがあります。一歩脚を踏み出す。きもちの隅々に不安が点滅する。後ろ向きで歩いみた。その一歩は前向きよりもリラックスしている。こんどは白昼です。街道を後ろ向きで歩く。目の前に拡がる風景に魅了され目的地への興味は薄れてゆく。車窓の風景は横切ってゆきますが、こちらは奥へ奥へとぐんぐん広がるのです。
 
 なんでそうなるのか、たぶんその秘は背中にある。
 
 まだ蝉の声は聞かない。幼虫は7年あまりの土中生息の最終段階。坑道での息づかいは木々の根元界隈に響いている。時がくれば安全を確認し坑道から這いでてくる。その幼虫の形と動きはまさに原始の姿そのもの、気に入った木々に停止して羽化が始まる。甲冑のような殻の背中が割れる。幼虫はむき出しの背中を全面に立て後ろ向きで大気に入ってゆく。
 
 
 
 
 
4月の庭劇場
 
『 春 の 魚 影 』
4月23日(土)~25日(月) 
 
 庭にイチジクの木がある。木といっても直径15ミリほどの太さで、4月の中頃に赤ちゃんの掌ほどに葉っぱを広げ、真夏には小型の団扇のおおきさに成長し、日蔭を虫たちに提供している。
 
 このイチジクは東京のど真ん中、虎ノ門駅に近い幹線道路の歩道に生息していた大木で、その枝を千切って庭に移植したものです。イチジクの生命力は強いのでしょう。移植してすぐ葉をおとし、丸一年間沈黙をしていたのですが、翌年の春でしょうか、枝の先端が微かに動き、間近な空気へ波動していた。
 
 植物は動物のように必死で生きるいきものの姿を見せてはくれない。まして無花果のイチジクです。狂い咲きのいいも当たらない。しかし、すべての音は天に宿るのです。 直径15ミリほどのイチジクの先端に天の調べは降り注ぐ。そして梢の先は絶妙な動きでタクトを振ってくる。
 
 
 
 
3月の庭劇場
 
『 椿 』
3月24日(木)~27日(日) 
 
 赤い大陸から黒い庭に戻ってきました。お土産は渡印前日に日本で購入した衣服です。衣服は朝日を浴び袖にインドの風土をとおした。
 
 いま、庭ですが、満開の兆なのか、蕾がごろごろ散っています。庭は黒い土です。おとめ椿が爆発し、いずれ赤いピンクでうめつくすでしょう。 
 
 
 
2月の庭劇場
 
『 庭 の 空 気 』
2月25日(木)~28(日) 
 
 いま2月。早い午後、晴れ渡った空に白い雲がポツンポツンと浮かんいる。開け放ったガラス戸、柏の木を望む。青き空に浮き出されて梢の芽がポツポツと黒く見える。そこにウスバカゲロウが音もなく、スムーズに通過していった。
 
 音もなく、目の前を過ぎると、過ぎた方角から爆音が轟いてきた。
 半ば透明な物体はウスバカゲロウではなかったのです。しかしですね、春は、近いですな。  
 
 
 
 
1月の庭劇場
 
『 冬 の 月 』
1月30日(土)~31日(日) 
 
 
 縁あってこの1月、南インドに二週間滞在しました。インドの土は赤かった。その赤い土に大きな樹木が育ち、枝の先端に黄色の花あるいは橙色の花を、冠を載せたように咲かせていました。
 
 いま日本にもどり二日目です。庭の土の色をみる。黒い土だ。インドにむかうまえは鍛え上げた土間のように、つるつるな地表で真夜中の月の微弱の光を、その黒色の地面に反射させていた。今朝箒をたててみた。地表は崩れ、下から硝子細工を林立させたような霜柱がポロボロと、月光の使い古した音符のようで、陽光にきらきら輝いてでてきました。
 
 
 
 
 
2015年
 
12月の庭劇場
 
『 ゆっくりひざまづく 』
12月24日(木)~28日(月)
( 三 日 公 演 )
 
 わたしはスティーブマックィーンが主演した実録もの映画『パピオン』のあるワンシーンに胸が衝かれている。随分前に観たのですがいまだに衝かれたままなのです。
 パピオンとは胸に蝶の刺青をした男の愛称です。チンケな違法行為で長期間の服役の判決を受け、脱獄を繰り返し、その度捕まり過酷な懲役を課せられている。
 
 その何回目かの脱獄時、捕獲の手勢からのがれ濁流に飛び込む。つぎの場面は穏やかな波打ち際で気を喪い横たわっているパピオン。パピオンはその汀で先住民の美しいインデアン娘に助けられるのです。椰子の木がゆるやかに揺れ、掘っ建て小屋のような家屋の中で夢のような生活を過ごすのです。
 ある夜、酋長の胸に蝶の刺青を彫ることを命じられる。次の朝パピオンが目を覚ますと、掘っ建て小屋に風が荒々しく吹き込んでいた。海は荒れ、波を激しく海岸に打ちつけている。インデアン達は一夜のうちに住居を棄て、海岸から移動していていた。パピオンはひとり取り残さた。夢のような生活の地であった海岸は、いまは荒れ狂う地に変貌した。
 
 わたしが胸を衝かれつづけているのはその場面です。天国と位置は変わらないのに、天国はもはやどこにもなかった。天国が併せ持つであろう地獄もない。荒れ狂う風景はパピオンに無関心で吹き荒れている。
 
 
 
 
11月の庭劇場
 
「 ぁ の 声 」
 
11月22日(日)~28日(土)
( 四 日 公 演 )
 
 庭劇場の庭に丸々と露呈した石が幾つかある。もとは土中に埋まっていたのです。土中といっても地下数センチの処に隠れていたのでしょう。
 
 長い歳月わたしは摺り足で庭を動きまわっている。そのつど土は削られ、あゆむ頻度の高い処には凹みができる。その凹みへ季節の風が吹き、季節の雨が溜まる。凹みはやがてくぼみとなる。
 
 くぼみの中にちょこんと固いものが露呈した。さいしょに気づいたのは右足の親指でした。 
 
 
 
 
10月の庭劇場
 
「 け 」 の 世 界
 
10月20日(火)~29(木)
( 四 日 公 演 )
 
 虫の声が小さな光のつぶのように闇のなかから、ちかちかちんちんと鳴っています。庭にでて土を踏みしめる。鳴き声はパタリとやむ。そのまましばし佇んでいる。また。ちかちかちんちんと鳴り出すのです。
 
 
 
 
9月の庭劇場
 
「 か 」の力
 
9月21日(月・祭)~25日(金)
(23日・24日(休演))
 
 図書館に隣接したグランド。父親(たぶん)とおかっぱ頭の男の子(たぶん小学校生)。父親は右手にバット左手にグローブをはめ、男の子の返球をクラブで確保し、即座に宙に球を浮かせすかさずバットで痛打する。男の子は球を追いかけグラブを差し出す。うまくいかない。そのつど父親のしった激励が飛び、球の確保のお見本がしめされる。空はしだいに暮れ、球は見えなくなってきた。父親と男の子は向かいあい一礼あった。そのときはじめて男の子の声を聞いた。女の子の声だった。
 
 ひらがなにはおのおの形にみあった世の音が包まれている。謂えば身振りも肌の感触にも、観えるように観るように音は包まれている。
 
 
 
 
8月の庭劇場
 
「 蝉 と か しわ の 木 」
 
8月22日(土)~24日(月)
 
 庭の空気が白く見えるほど雨が降っています。屋根を打つ音、地面をたたく音、草や木や石や垣根や、雨同士も擦れるのか、屋根から樋につたわり、霧よけからボタボタ落ちる太い雨粒、豪雨という語彙に単調ならざるさまざまな音が、絨毯の糸のように織り成し響きあっている。
 
 ときに雨の勢いが弱まると、それぞれの音の強弱がよりはっきりと聞こえる。雨とは異なった旋律にも気づく。蝉の声か。そういえば豪雨のさなか、それとおぼしき響きも入っていたのです。
 
 この庭劇場はシ―トで囲んでいます。シ―トの中に樹齢百年は越えているであろう椿と、さいきん実をつけた琵琶の木、屋根より高く成長した合歓木などが顕著ですが、それよりはるかに高い柏の木が、シ―トの外に居ます。わたしがこの庭つきの借家に入居したとき、椿と柏は地面の先住者です。
 
 雨はまた激しく降ってきた。柏の木は目算で10メートル以下ではない。二坪ほどの庭は、わたしの日々の徘徊で地面はすり鉢状に固められ、豪雨が30分も続けば小魚が游げるほどの池となる。
 
 夏の雨は消息が激しい。突然に止んだ。ジリジリと搾るような響きが聴こえてくる、蝉は、豪雨のさなか柏の樹皮の深い裂け目裂か、鋸のような波状の葉陰に身を潜め、腹面の発音器を震わせていたのでしょう。
 
 広辞苑の「蝉」の項目では、成虫は樹皮に産卵。孵化した幼虫は、地中に入って植物の根から養分を吸収し、数年かかって成虫になる。と記されてある。
 
 
 
 
 
7月の庭劇場
 
There and Back Again
 
7月26日(日)~27日(月)
 
 ことし四月後半、小豆島の八十八ヶ箇所の歩き遍路。とある山中、道で迷ったへんろ道。牝犬がこつぜんと現れ、昼食用のおにぎりを分かちて食べて、犬はつぎの札所へと先導してくれた。
 
 つぎの五月中半、山梨県の大日岳、丸いおお岩にかじりついて這い上がった。絶景ただ中、しがみついた岩肌に蟻が群れをないていた。
 
 六月の末、羽田から飛行三時間、石垣島へ。市場でもぎたてのパイナップルを買い、町角の駐車場。ナイフでえぐり芳烈な香りに酔いしれていると、紫色の一群の雲が屋根スレスレにあらわれ、ザ―ァと雨。
 
 
 
 
6月の庭劇場
 
「 く 」 と 「 る 」 の 力
 
6月20日(土)~21日(日)
 
 「く」と「る」が合体すると行為の饗宴になる。たとえば、どこそこに行き、なにかをして「くる」。また、どこそこへ行くと、なにかが入り込んで「くる」という塩梅にです。
 
 さいきん相模線に凝っていてちょいちょい乗る。八王子駅、橋本駅を経由し、茅ヶ崎駅まで行かず途中下車。水をたっぷり引いた水田の脇で、土地の弁当を食べ土地の水をのむ。なにを考える風でもないが、目の中に風景が耳の中に風の小さな勢いが入り込んでくる。
 
 月日は、果てしもなく過ぎ行く旅人であるが、おだやかに青くかすんだ丹沢山地は、座禅でもしているかのよに鎮座して、何ゆえにかはわからないが、われわれの身代わりを務めているかのようで、悠久の時を見めている。
 
 
 
 
5月の庭劇場
 
「 み 」 の 力
 
5月24日(日)~26日(火)
 
 頬に指を当てると砂がこぼれた。わたしは海を見ている。知らぬ間に飛砂が貼りついていたのです。海は広い。茶色の子犬をつれた少女が波打ち際へ一気にかけ降り、提げた白い手提げから白い球を取りだし汀に放った。
 
 ワタシハ魂ノ存在ヲ承知シテイル。マズ天ガ宿ッタヨウニ、胎内デ心臓ノ鼓動ガ宿リ、カラダノ隅々ニ、雨ノナヨウニ、光ノヨウニ、雪ノヨウニ降リ注ギ。魂ノ種トナッタ。脳ハソノアトデ…。
 
 午後も傾きわたしは浜辺を離れローカル線に乗りました。遠望は霞んで、霞んだその色しか見えません。しかし西陽が輝きだすと、車窓いっぱい蒼き色の山系が忽然と現れてきました。
 
 
 
 
4月の庭劇場
 
「 あ 」 の 力
 
4月18日(土)~21日(火)
 
 どんより曇って風のない四月のしんや。満開もとうに過ぎた街灯の中で、散りのこった花が宙に舞っていた。
 
 日本の宗教は椀の力だ。その削られたぶんに、気がはいりこみ。内円形の木地に精霊が触れる。
 
 学問的な根拠はない。また誰かに示唆されたものでもない。長年の庭の行為で感知した。
 
  わたしが消える。
  するとみえなざるものが動揺する。
  わたしの身は椀に似る。木地に似る。
 
 庭に咲く乙女椿、花弁の結束を解き、パチリとオト響かせて、辺りの赤い重力を抱き抱え、動物のような速度で各々地面に落下している。
 
 
 
 
3月の庭劇場
 
「 に 」 の 力
 
3月25日(水)~26日(木)
 
 空をみるには仰げばよい。手をかざせば、山はほどよい具合で望められる。私は海を車窓で眺めるのが好きだ。しかし触れるとなるとどうだろう、山は山肌までゆかねばならない、空は雲の所在まで訪ねねばならないだろう。どんよりと曇ったいちじつ、電車の小旅行を思い立った。私か住む南武線の谷保駅から立川へ、中央線で八王子に。そこで横浜線に乗り換えて橋本へ、相模線で茅ヶ崎駅。茅ヶ崎で踵を返し、東海道線で東京駅へ、中央線に乗り換え谷保駅の真向かいに位置する国立駅まで、三時間ほどの行程ぐるりと巡る計画でした。
 
 谷保駅から二時間ほどで茅ヶ崎駅に到着した。改札口の人波を眺めているうちに猛烈に海と出くわしたくなった。見るだけなら熱海行の車窓で充分だ。触れたいのだ。駅前地図で海を確認し、一直線に延びる眼前の路を足早に二キロか三キロ歩いた。海岸道路を横切り、ネットを被せた防風林をぬけると、そこに海は居た。右手に日没、左手に江ノ島らしき島がどんよりとして居座っている。わたしは吸い込まれたように波に近づき、人間を忘れたかのように、海に人差し指を浸けた。
 
 
 
2月の庭劇場
 
「 も 」 の 力
 
2月25日(水)~26日(木)
 
 空がわたしを支える。
 
 
 
 
1月の庭劇場
 
「 む 」 の 力
 
1月21日(水)~23日(金)
 
 寒ん空の真下で涎を垂らし。
 
 
 
 
 
 
2014年
 
12月の庭劇場
 
「 冬のいちじつ 」
 
12月21日(日)~23日(火・祝)
 
 風が吹き、爪に火を灯すような温くもりが、脊髄の中を走っている。野鳥の羽根は朝霧に濡れ、その声は糸水ように滴って耳に入る。遠方の屋根の先、浅い陽をうけた銀杏の黄葉がぽつりぽつと枝を離れ、落ちているのが目に入る。
 
 駐車場の一画に入ってしまった庭劇場。メッシュの囲いの外、唸るエンジン音、つづけて砂利を弾くダイヤの音。凍てつく土壌を茸のように吸いとる足の裏。長い冬のいちじつがはじまった。
 
 
 
 
11月の庭劇場
 
「 天 の 甘 露 」
 
11月28日(金)~30日(日)
 
 座敷から濡縁へ 、庭に降りしばし動く。鉄床に近づきその上にあがる。吊る。身体は幾度か揺れ、真下に掘った浅い穴に堕ちる。穴の中での保持。穴を出で、地面をふみふみ座敷に上がる。
 
 一日の運命と共にしてきたなにものかが、この庭の流て来て、流れ去る。
 
 
 
 
10月の庭劇場
 
「 天 井 と 縁 の 下 」
 
10月30日(木)~31日(金)
 
 昔は煙草を美しく喫う人がたくさんいた。煙草の喫いかたで小説を書けるやつか否かを判定する慧眼の人もいた。煙道といった。煙道だから立ち昇る紫煙の軌道が肝心で、身体の形も決め手となった。スパスパ、コソコソなどの所作は煙道からほど遠い。
 
 小説家ではない。博覧強記の博物学者、民族学者の南方熊楠(みなかたくまぐす)。粘菌採集のおりだったのか和服に坊主頭。裾をはしょって懐手。煙草を斜めにくわえて悠然たる一葉がある。
 その熊楠、昭和十六年、七十四歳でなくなった。看護していた娘の文枝さんに、いま天井一面に綺麗な紫の花が咲いている。今日は医師を呼ばないでおくれ。医師に腕をチクリとされると花が消えてしまう。それから縁の下に真っ白い小鳥が死んでいる。明日の朝、丁寧に葬ってあげてください。そんなような事をいいのこして息を引き取った。
 
 いま万事が休し、難事は日々固まっている。煙道の紫煙のごとくゆらゆらするすると昇っていかない。まして天井一面、紫の花は咲いていない。しかし今は及びがたくても、これはわたしの最終的な理想形だ。その理想形でかつ楽天的に謂えば、志こそ縁の下の真っ白い小鳥の正体ではないだろうか。
 
 
 
 
 
9月の庭劇場
 
「 雨 乞 い 」
 
9月27日(土)~28日(日)
 
  ひとつの月のみを切りとって、それが何年何月何日の月か、明治か江戸かはたまた平安時代なのか、問われてもわからない。しかし、時事や事件はその一端を示せば、どの時代の何年何月何日、場合によっては時刻も特定できるだろう。
  わたしが庭で扱っているのはこの前述の月です。そが身体を貫く棒のごとき月の感触です。それがなんであるか、何の大義か、意義か、思想かは示せない。端的な感触で謂えば、言葉で示せる事象ではないと思ってやっている。
 
  いま、何者かに貫ぬかれた。いま、大きな手につかまれた。そういった感触のあいたいの雲を、身体は懸命に貯めている。さらに、この貯蔵庫はわたし側にではなく、天の側にあると知覚している。何故か、それは、時にわたしのからだが鍵の貌になって天にむき、まさしに雨乞すべきぞ、と誘われるからです。
 
 
 
 
8月の庭劇場
 
「 丸  る 」
 
8月22日(金)~24日(日)
 
  なにげなく庭の外にでた。何かよい香りがする。猫が向こうの畑のなかで、ぼんやりこちらを見ている。 ふと、匂いを思い出し、顔をあたりに配った。
 そこに最近越してきた、わりと若い男女が向こう向きにしゃがんで、なにか手もとを動かしている風だった。 薄く煙りも立ちのぼっている。そうか、きょうは盂蘭盆の初日だ、迎い火で麻殻を焚いているのだろうか。その、わりかた若い男女は気配を感じてか、二人同時に振り向いて、わたしに軽く頭を下げた。
 
 蝉の鳴き声が遠くで、近くでと、鈴をふったよう鳴り響いている。そばの青々生い茂った太い柏の木の枝が、さわさわと揺らぎ、あたりは一面の夕ぐれとなって天に届いていた。
 
 
 
7月の庭劇場
 
「 日本むかしばなし 」
 
7月29日(火)~31日(木)
 
  わたしの首つりのアクションを、日本むかしばなしのようだ。と、言った人もいるかも知れないが 、わたしは耳にしたことはない。 が、さいきん、もしかすると、もしかしなくても、この庭での一連の動作は、日本むかしばなしではなかろうかと思ってしまった。そのとき、そのように思う訳はあったのでしょうが、いまその決定的な動機は忘れ、こころにきめた瞬間の記憶だけを覚えている。さらに勢いづき、日本の古典の芸能ではなかろうかと、今は、その発見にいたっています。
 
 威勢は景気のよし悪しですから、またかわるかと思います。  
 
 
 
 
6月の庭劇場
 
「 緑 の 音 」
 
6月26日(木)~28日(土)
 
 梅雨季に大量の雨が降ったので、庭の緑の勢いが凄い。緑はあめの間隙を縫って、もりもり音をたて、膨れ上がっている。人体で例えれば背中が盛り上がる様か。脳に直結し、欲が命の腹に背中の真似はできない。
 
 緑の沈黙を聴くには鎮まった夜がよい。われわれの皮膚呼吸がわれわれの間近で、耳をそばだて、貪欲に聴いている。
 
 
 
 
5月の庭劇場
 
「 虫 く ら し 」
 
5月23日(金)~24日(土)
 
 覚めて硝子戸を開けると、空にごがつの雲が流れていた。庭のガクアジサイが小さな姿を見せれば、虫の背中がいく分かまるく膨れて、雨の季節が到来する。
 
 庭に灯りをともし仰向けて寝転べば、ごがつ の月、ここぞとばかり ごがつ の夜空に流れている。
 
 
 
 
4月の庭劇場
 
「 童  話 」
 
4月26日(土)~29日(祭)
 
 いま4月の24日。昼。国立市の大学通り、桜木の根元で春の微風に吹かれています。
 
 わたしがはいている煉瓦色のズボンに、身の丈一センチ、太さ一ミリの尺取り虫とべろべろ舌をだした銀色のイモリがはい上がっています。むろんその感触を楽しんでいるのですが、昨年の夏。蚊帳の中で終日、白雲を眺めていました。ときに白雲は微笑んで、わたしは虫たちと肩を組み、木々を揺する夏のスクリーンを眺めていました。
 
 
 
 
3月の庭劇場
 
「 春 が 来 た 」
 
3月24日(月)~26日(水)
 
寒い、兎に角寒いが実感の3月です。1月のタイトルが『お遍路さん』、2月が『花まつり』。 春を呼び込もうとけんめいです。
 
《わたしのうちにある、わたしのどこかで、だれかが霞を食べている。》
 
寒いさなかの庭でかように書き留めた。
 
長いこころの朝に、長いこころの昼に、長いこころの夜に、長いこころのとばりに、長いこころの早暁に……。
 
 
 
 
2 月 の庭劇場 
 
「 花 ま つ り 」
 
26日(水)~27日(木)
 
昨年の夏、部屋に蚊帳を張り、その中で雲を終日眺めていた。雲は右から左へ、西から東へと、それぞれの趣でハキハキと形を変えつつ流れていた。いまもあの夏と同じガラス戸で、目一杯開け放ち、空を眺めています。
 
雲はどんより、寒さはハキハキ、寒空です。この寒空はある日、忽然と消える。なにかが消え、何かが顕れる。いま雪のさ中、紅梅が忽然と顕れ、煌々と紅で息衝いている。
 
 
 
1月 の庭劇場 
 
「 1 月  イ モ リ 」
 
29日(水)~30日(木)
 
昨年の夏。
わたしは路上でイモリを偶発で踏み潰した。
入道雲の真下。
イモリはイモリの形をして。
一月は庭。
 
 
 
 
 
2013年
 
12月 の庭劇場 
 
「 お 遍 路 さ ん 」
 
26日(木)~27日(金)
 
夢をみました。庭にお遍路さんがやってくるのです。それをわたしはずいぶん待っていたようです。
雛祭り。
花売り。
 
厳しい冬かあったればこそ、風も浮き匂いも立ち…。
 
いま庭劇場には火鉢がひとつ。切り炭が赤赤と燃えてます。
 
 
 
 
11月 の庭劇場 
 
「 神  話 」
 
11月29日(金)~30日(土)
 
 書くべきことが浮かばない11月の庭、わたしとしては寂しい。しかし、いかであろうと寒風の庭であることは心強い。
 こんかい、どなたも、いらっしゃらなくとも、嬉々として庭に降り立ち、歳月の運行と相まった動きは、人生が外され、神話の体を現すだろう。
 
 
 
 
10月 の庭劇場 
 
「 酸素 club 」
 
10月27日(日)~28日(月)
 
 7月の28日のしんや、40度の高熱がでました。翌々日、医師に慢性肺気腫で肺炎が重なっていると言い渡された。
 
 そのころ空気中に酸素らしきものがしきりに見えていましたが、あながち幻想ではなかったのです。それは臓器の眼で、臓器、酸欠の叫びでもあったのです。
 
 わたしは曼陀羅図の計りに無知です。が病を得たのち、あの図柄や色彩が病の数々に見えてくるのです。
 
 はたして、病を得るとは人間の本懐ではないでしょうか。千年の無病息災。結構なことです。しかし、脳という奴がしゃしゃりでてき、あっという間に千年を食いつぶしてしまうのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
9月の庭劇場 
 
「 奇 妙 さ 」
 
9月26日(木)~28日(土)
 
風が光に挿して、雲が揺れた。
 
この夏は、万々歳の入道雲だった。
 
秋い、丁度よいときにくる。
 
 
 
 
8月の庭劇場 
 
「 詩  集 」
 
8月27日(火)~28日(水)
 
真夏の路面でイモリをふみつぶした。
 
「死んだらどこに往くとキミは思う」と、芸術家は看護の妻にいった。芸術家は末期癌だった。
 
イモリを踏み潰したからではない、木の茂みで啼いている蝉も往くところに逝く。
もんだいは、わたしたちも同じ処へ逝くのか、否か、だ 。
くしくもこの夏を一緒で生きている。
 
さて、いよいよ蝉は猛烈に鳴いています。 イモリは足元で潰れたまま。 仰げば雲。千年来の無常で流れています。
 
 
 
 
 
7月の庭劇場 
 
「 雪  女 」
 
7月24日(水)~27日(土)
 
 いまにして思えば、生まれてきたことは撥(ばち)にあたった、弦のようなものか。《ばちあたりなヤツ》に、罰を充てているが、罰でなく撥が正体と思う。要はどこかに撥があり、どこかに弦があり、それを真を受けているわたしがいる。
 
 小泉八雲の《雪女》は、男を助けるさい、なんと約束させたか。男は覚えていてもつい忘れ、いや忘れてはいないが、つい自慢気に、雪女との出逢いを言ってしまう。
 
 さて、撥は、なんでか体当り、弦は響いて、真に受けて、見てる、聴いてる、ヤツがいる。
 
 ひごろ。庭で触れている重力の量感に、感想を日本語でと、たずねてみましまた。 《ごきげんようさようなら》。
 
 ちょっと拍子抜けでしたが、この地は、脳細胞の庭ではない。草木国土、ことごとく仏性の庭です。撥も、弦も、わたしも、庭も、脳も、実感は下方に沈んでゆく。 重力は小舟、一体でした。底はない。空だ。宇宙だ。 記憶もうすらいだ海が溶け込む空。 ドンマイ、マンダム、なみあみだぶつ。愉快だせ。
 
 
 
 
6月の庭劇場 
 
「 灯 台 守 」
 
6月26日(水)~27日(木)
 
いちにちは
はじまっている
ただただと風が通りすぎてはいないふうに
ただただと風は通りすぎる
庭の焚き火
梅雨のさなかは灯台守
 
 
 
 
5月の庭劇場 
 
「 ミ の 手 紙 」
 
5月30日(木)~6月1日(土)
 
朝、ガラス戸を開けて庭をみた。土の上に緑色で紡錘形の虫のような実のようなものが、目に入った。おそるおそる指に触れつまみあげると琵琶の身(実)の赤ちゃんでした。
庭に琵琶の木があるのです。梢を見上げると葉っぱの先端に三センチほどの身が青々と結びあっていました。今まで実をつけたことはなかったのです。
 
わたしの借家は玄関の扉を封印しています。庭劇場も我が家もガラス戸が出入口になっている。
朝の光の輝き、昼間の風、日没の鉦の音色、いちねんの雲の行方、ときおり降る聴診器をあてられたような雨。
 
すべてガラス戸からやってくるのです。ですから西洋風にいえば扉の下からそっと差し入れられた手紙なのです。手にとって私は読みました。ドキドキしてこんな近くにいるのに手紙をくれたのです。
 
 
 
 
4月の庭劇場 
 
「ともだち」
 
4月23日(火)~ 25日(木)
 
さくやさくねん別れたカメ虫が部屋にやってきた。
丼の縁をぐるぐるめぐっている。
 
「やぁしばらく」と声をかけるとびたり止まった。
蛍光灯の周囲には羽虫が飛び交っている。
あと一時間もすれば白いテ―ブルの上で激しく羽ばたき身をよじり骸になる。
 
オレはさっき満腹な胃袋から追い出されてきた。
きっと無表情な顔でそれを視てるだろう。
 
戸外は雨になり、風もでてきた。
部屋に生き物は励まされる。
こころは勇敢なやつらなんだと感嘆し。
部屋のどこかに居る。 
 
 
 
 
3月の庭劇場 
 
「イヤリングなピアニッシモ」
 
3月22日(金)~ 25日(月)
 
三月の暖かい午後。
陽をかざして庭の椿が咲いている。
あとひと月もすれば満開をすぎ、黒々な土にどさっと堕ち、土と融和し、唇が漂い、周辺は色で埋め尽くされる。
 
ピアニッシモ。
 
わたしはガラス戸ごしに眠っている。
 
 
 
 
2月の庭劇場 
 
「2月の庭に向けて」
 
2月22日(金)~ 24日(日)
 
 冬の日差しが、向かいのこんもりと繁っている常緑樹の葉っぱを射る、きらきら輝いた。
 上空に飛行機、冬のすっきりとした青い空、午後1時の暖かさ、硝子戸に事物の影が揺らいでいる。
 炬燵で日長が一日、空と流れる雲を見ている。いっときだと雲の形は変わらない、目を離した隙に変貌してしまう。
 
 気づけば陽は傾き、昨年の夏にかぶった麦わら帽子に、光が帯のように当たっている。
 椿の枝に吊るした首くくり用の輪が、ゆっくり揺れ、近く中学校から『蛍の光』の吹奏がくぐもって聞こえる。空でヘリコプターの爆音、しだいに辺りがくらくなるだろう。暗くなるまえに、まだまだ首を吊るのだ。けっこう庭は冷え込む。
 
 
 
 
1月の庭劇場 
 
「わたしの庭での行為は
  木々に似ている」
 
1月30日(水)~ 31日(木)
 
 わたしの庭での行為は木々に似ている。
木々が歩いて登場する。
闇の白さ、光の透度、空気のあちらこちらに、いちにちが現れて過ぎ去っていく。
 
 日の出から日没。やみの時間。ほのかな朝のあしおと。ひっくるめた玉のような時間に身をおいている。
 
課題は文字ではないが、声で聞こえてくる。目には見えないのだが、空気中に現れてくる。それぞれ気配といえばそれまでだが、いやわたしは気配をのぞんでいる。気配がはっきり現れてくるのをこいねがっている。
 
 梢が揺れて、一枚の葉っぱに視線が乗っかる。 身体のへりを探し、土にくっつけ、同じように登場しようと試みる。
 
 そのときわたしも観客同様に、人間の課題の直さいの身であれば、まばたきする幽霊も天空の月に誘われて現れている。
 
 
 
 
2012年
 
12月の庭劇場 
 
「 蝶 の 呼 吸 」
 
12月22日(土)~ 24日(月・祭)
 
庭から望む空、冬の午前、陽はジロリ輝き、屋根の彼方、雲は右から左へゆっくり流れいる。訪れた役人が几帳面な四角い手で税金を徴収していった。
 
冬の日溜まり。鳥は常緑樹の繁みから紅葉の繁みへ、キィーと声して飛んだ。
 
空。空。空。
人よりも空。
空。空。空。
人よりも空。
晴れわった12月のいちにち。
いちにちの空を着ている。
 
 
 
 
11月の庭劇場 
 
「 白  雪 」
 
11月28日(水) ~ 29日(木)
 
  この18日、八戸市の南郷で初雪をみました。次の日、友人の運転で青森市に向かったのですが、道々、八甲田山につながる雑木林に昨日降った初雪が、喩えば凛とした鳥のさえずが雪に化身したかのように、白雪としか形容しがたい白さで木々に貼りついていました。
 
  「初雪はなんでだか綺麗なんですねぇ」
  と青森に11年すんでいる友人はほくそえんだ。
 
  曇天に覆い隠されていた八甲田山の頂が突然姿を現しました 。われわは車を止め、そとにでた。冷気が衣服の中にいりこんで、頂きは瞬くまに雲に隠された。
 
  「すでに百年はたったな」
  友人は怪訝な顔をしたが私はかまわず車に乗り込んだ。
 
  八甲田山も例外ではないのでしょう、生存はおびやかされて生息している。あれはことしの9月17日だった。家にいついていた猫は私が本のページを捲っている間にしんだ。目やにだらけの瞳に、その猫の生涯が走馬灯で映したされていたのだ。
 
 
 
 
10月の庭劇場 
 
「 秋 の 鉱 石 」
 
10月24日(水) ~ 27日(土)
 
  フランスの文学書に『石が書く』という題名の本がある。作者はロジェ・カイヨワ。1970年に新潮社から翻訳本がでている。正四角形に近い本でページの左に様々な石の写真、右にカイヨワの文章が掲載されていたと記憶する。石は真っ二つに割れている。中は鮮やかな色彩の鉱石が輝いていた。いのちの構えだ。雑草の緑、燃える夕陽、斑なる雲の流れを見るにつけ、この鉱石を思う。
 
 
 
 
9 月 の 庭劇場
 
「 生 き て る 」
 
9月26日(水)~ 30日(日)
 
  素敵な写真を撮り、文章は洒落ていて、かつ温かい、世に得難い人物とわたしは思う都筑響一さんが、独居老人のスタイルという記事でわたしをとりあげました。
 わたしというより、わたしが住んでいる家を取り上げたといってよい。数々の写真を取材の間に納めていた。帰り間際、濡れ縁に家に居ついている猫のクウニャンとよんでいましたが、写真を撮りました。クウニャンはそれは見事な青っぱなを垂らしていたからです。長い間 、鼻炎をわずらっていました。そのクウニャンが9月17日に亡くなった。わたしが数分目をそらしていた間に逝ったのです。
  その朝、庭にいたわたしの前に、突然クウニャンが目に入りました。四肢を折り畳み、頭を垂直に垂れてうずくまっていました。数日ぶりの対面でした。部屋にあがりたがっていたので抱き上げると、いつもの居場所へふらふら向かい、バタと倒れた。両の目はつり上がり、水も受け付けない。午後。わたしが触れたとき、クウニャンはからだをねじる姿態で固まっていた。柔らかな猫が数分で硬直したのです。
 
  昨日。クウニャンの夢をみた。わたしはある場所の土中にクウニャンを埋めている。クウニャンはその土中から這い出てきた。ヒゲや顔に泥がついている。左目がヤニで塞がっていた。わたしが目薬をたっぷり左目に注ぐと、クウニャンは気持ちよさそうに顔を膨らませて、漫画にでてくる幸福そうな猫の顔になった。
  むろん、わたしは死後も生きると思う意識をもっている。ただし、それは生きている側にその世界はあると。わたしの中に、わたしだけではない、地球儀のような球体面が存在する。どこに。脳か掌か心臓か重力か。どこでもよいのだ。蓮の葉っぱの上の水滴の球体。その面に中に世界がうつし出されかつ存在する。自意識では地上はどこまでも平坦だ。わたしは意識の相対で無意識をいってはいない。数式のように無意識はとらえられない。わたしは無意識のただ中に生息していると思うだろう。
 
 
 
 
8月の庭劇場(2)
 
「  蝉  」
 
8月27日(月)~ 29日(水)
 
 8月も半ばを過ぎた。蝉の鳴き声がピークを越えたのか、勢いが弱まって聴こえる。路上に、いのちを全うしたなきがらが目につく。入道雲のように威勢よく、蝉のいのちを食べるやからがいるのだ。
 
 
 
 
 
8月の庭劇場 (1)
 
「 太陽は夜も耀く 」
 
8月14日(火)~ 19日(日)
 
 山梨の山あいのおおきな空間で、星の見えない深夜でした。雨がぽつりぽつりとおちていた。
 霧が最微音で空間に漂っいる。中から夜行性の夏の虫が、姿をあらわし姿を消している。煙草を愉んでいたが、煙は霧のバリアに弾かれて溶け込まない。
 
 いま、わたしの目に見えないが、U字型に拡がった真正面の空には、鋭角な裾野の富士山が、肩幅のように存在している筈である。
 山道にうずくまると刈りとられたような短い茎に、汗のように水滴が、太陽のように輝いて見えた。 
 
 
 
 
6 月の庭劇場
 
「六月の空が動けば
六月の雲」
 
6月28(木)~ 30日(土)
 
 台風がさって。朝。白い雲が悠然と空の半分を覆っている。あと半分はまっさらな青。からだを半分におってさかさで眺めても青。悠然と見える雲も、あの形の中でわたしには計り知ることができない波瀾万丈がおきているのだろうと、思う。ときおりふく風は強く、木々を揺らしている。うぐいが甲高く鳴いた。 
 
 
 
 
5 月の庭劇場
 
「 永 遠 と 一 日 」
 
5月23日(水)~ 27日(日)
 
 都心の温泉で、その人は湯の中に沈んでいた。祭日で混んでいたが、だれも気づかない風だった。気づいても素知らぬ体をしていたのかも知れない。私は近づき、真上からその人を眺めた。横向きで揺らいでいた。腕をつかみ、顔を引き上げた。白墨を塗り込んだような唇を真いちもんじに閉じ、まぶたは黒ずんでいた。息はない。脈もない。口から水を吐き、失禁した。救急隊員が器具でショックをあたえたが、蘇生せぬまま、その人はタンカで運ばれた。
 私にその人のその後を知るよしもないが、真いちもんじに結んだ口元は、遠ざかる決意が光の、その興亡を黙秘していたのかも知れない。
 
 
 
 
4 月 の 庭 劇 場
 
 
『 イ ヤ リ ン グ 』
 
4月24日(火)~ 27(金)
 
先日の大嵐のいちにち
 
出先で足止めされ
 
帰宅は深夜となった
 
庭の椿も散乱しているだろうと灯りをいれた
 
雨も降った
 
花弁も濡れて
 
一輪も
 
堕ちてはいなかった
 
 
 
 
3 月 の 庭 劇 場
 
『 鋏 と 糊 』
 
3月29日(木)~ 30日(金)
 
 庭の乙女椿が咲きました。しかし、ももいろの花弁は客席に向かった面ばかりに咲き、裏面はチョボチョボなのです。
 人に、鼻孔が正面にあたるなら、うなじは裏面です。鏡で映しだされたわたしの頭髪も白いものが一段と増えた。しかし髪を切れば、うなじの辺りが黒々としている。 そのつど思うのです、不如意である…と。
 椿の樹もわたしの頭髪も、真正面を気にし過ぎているのではないか…と。
 
 
 むかし「ずいずいずっころばし」という遊びがありました。どんなやりかただったのかすっかり忘れてましたが、その歌詞のさいごに「うしろの正面、だあれ…」と唄い、唄いながらゾクッとした背筋の一瞬を記憶している。
 真正面でしか時間の経過を直視できないのなら、その時、うしろの時間にわたしはどんな期待をしていたのか。
 
そして今は、フランケンシュタイン博士の制作のように、過去を材料にして出来事をツギハギしているのだろうか。
 神のように自在をたぐれないわたしは、人の目を借りる。「わたしの背後は、なにか見えましたか」「はい、椿の木と梢ごしに月が、世界は美しいねぇ。」
 
 
 
2 月 の 庭 劇 場
甘 み
2月2日~5日
能書きなし
 
 
1 月 の 庭 劇 場
 
椿までの二三歩
1月24日~ 30日
能書きなし
 
 
 
 
2011年
 
1 月の庭劇場
 
『 再び ニューヨークへの手紙 』
 
12月18日(日)~21日(水)
 
 『Yさん、Yさんと同名のフラメンコの長嶺ヤス子さんの踊りを数日前に観ました。
 
  山手線の五反田駅に近い大きなキャパ数の劇場です。長嶺ヤス子さんはフラメンコの衣装や靴やカスタネットや鳴り物のギターや歌声や、可笑しな謂ですがフラメンコ・ダンスに負けてはいません、日本人・長嶺ヤス子の自在な踊り、千パーセントの日本人のフラメンコ・ダンスを踊っていました。そこにはスペイン人のフラメンコ魂と日本人、長嶺ヤス子の血の激突があった筈です。
 
  Yさんはニューヨーク在住30年、自らも踊り、振り付け家でもあります。二年まえ平家の壇之浦の戦いを題材にして「タイラータイラー」を日本舞踊の踊り手とアメリカのダンサーのコラボレイションで欧州ツアーを行いましたね。ことしはニューヨークのコンテンポラリーダンス界で重要な劇場の専属振り付け師に就任されました。エスカレーターを逆送で生きるようなニューヨークです、民族の坩堝での振り付けの仕事は、多民族のダンサーが納得できる法則性が必須でしょう。また法則性があったとしても、英語という合衆国の血液の国語の基盤はあったとしても、民族の血が深く潜行する底では長嶺ヤス子さんの場合と同様の激突が個々のダンサーに見え隠れしているのではないでしょうか。
  かって日本人の日本での発見された舞踏がサンフランシスコやニューヨークに出現し、一時期アメリカのダンス界に刺激を与えた。しかし風土を離れた身体は新たな土地に易々とは発育はしない。といいますのは舞踏は土方巽がモダンダンスをやっていたから産まれたのではなく、風土の中で流れる血の呪縛が蓄積された底で発芽された、底には日本人の様々な歴史のマインドが横たわっています、このマインドと土方巽の身体の接触が舞踏の基盤であった。
  ひとはパンのみに生きずにあらず神の言葉で生きると、国土草木ことごとく仏性だと、天のアラーにすべての運命を委ね五体を空と融け合う大地に砂漠に投げ出すと。
 
  わたしはそのいずれも信ずる不逞な輩ですが、それは身体が頭脳より大気に直接触れている現場主義的な体質を優先しているからです、たとえば舞台に入る寸前、ダンサーは悪魔に魂を売り渡し事にあたらんとし、神に深い自前の祈りを捧げて前途に灯りを見んと欲するでしょう。その行為は望む成果を得たいと願う動機からだけではなく、舞台では瞬時に受け瞬時に消えてゆく光陰の結晶が生じていることを感知しているからではないでしょうか。
  宇宙空間に超高速で廻っている地球を真裸にした状態です。その速度を支えるにはどうしたらよいか、どうしたらよいか解らなくとも、日々の修練にふくまれていた確信が欲しいのです。舞台の出来映えは、日本人的にいえば天を仰いで諦めるしかない、だが身体にいたってはたったいちにちしか地上に住めないかのごとく姿勢をとる。突拍子もなくいいますが「人ななぜ殺されるのか」と庭で吊られてそれなりの時間が経過しますと漠然とこの問が脳裏に発生するのです。
  これは意味深長です、軽んじられない問です、この問はわたしの眼に舞台で一瞬一瞬、ダンサーの背後で結晶し、輝き瞬く間に消滅している。いつ死ぬか不明を知った頭脳には地上はいちにちしかいきられない呪縛の檻にいる、そこに宗教の閃きがあり、閃きに導かれた行動がある、なぜ人は殺されるのかの問もある、物騒な日常的な出来事はそのひとに罪があるからではないのは勿論ですが、言えば死ななければわれわれは地上にいちにちしか住めない、そうであるからして内容はともかく一歳の死があり百歳の死がある。
  そういった意味で舞台にあがる寸前のダンサーは、人間を越えた生命体にその身を託そうとする動機も窺える、なにもダンサーだけではが、その力を支え応援するのは風土に抵触している身体か明晰な判断を配慮する脳細胞なのか、わたしは身体に加勢しての二元論を選択していますが、この問が最終的には脳細胞にかかるにせよ過程の修羅は身体が担っていると思う、わたしが舞台でダンサーを見るのはこの修羅です、肉の特権は輝き腐る、骨はカラカラになりて尖って地面につき立つ、衣装はキラキラと輝いてその時その時を賞賛する。
 
  Yさんもご承知のようにわたしはダンスをするものではありません。行為という身体をたよりに道を歩く者です。しかしダンス界にはYさんをはじめ多くの友人がおります。みな20年30年40年中には50年とダンスに携わっています。またダンスの世界的な傾向は知りませんが、ニューヨークで、世界の心臓のごとく日々脈拍している場所で奮闘しているYさんの友人であることはわたしの誇りであり、見知らないニューヨークという土地との繋がりにもなっています。今回は無謀を承知で日本の東京の西の郊外の小さな庭で、ニューヨークの坩堝とはかけ離れた静寂で、人類に受け継がれた一滴を身体の中の事象をポケットの手鏡のように持ち出して、今年最後の庭公演の能書きといたしました。
 
  来年、Yさんが日本への里帰りをなされた折、お逢いできるのを愉しみにしております。』
 
 
 
 
11月の庭劇場
 
『 ニューヨークへの手紙 』
 
11月29日(火)~30日(水)
 
 『Yさん、ご無沙汰しています。そちらはすっかり冬に包まれているでしょうね。 かって日常がエスカレーターの上を逆送しているようだと形容されていましたね、日本の風土で育まれたまんまのわたしには想像しただけでいまも膝がむずむずします。
 
 さて、11月も末になりました。 月日は早足です。今月も庭での行為を開催します。
 
 ご承知のように庭に天蓋がありませんから四季や節々の変化に敏感です。この時期、国立市街の銀杏はまだ金色に輝いてはいませんが、晴れ渡った夜道を歩くと天空にそびえた銀杏のてっぺんの先で星が輝いてみえます。その天空に向けて鋭くロケットのように音声を発しますと上空で空間と融合し花火のように膨れ谺となり縦に響き渡り塵のように地上に降り注ぎます。日本は万の国ですから、草木のことごとくに仏性を観ます。
 宇宙空間を体験した日本人女性の向井千秋さんが地球上に帰還し検査のため隔離室にいた際、一枚のテッシュペ―パの重みが感じられたといっていましたが、むろん重みは gの物言いではありません。 おそらくテッシュペ―パに宿る重力みたいなものでしょう。草木の仏性は重力かもしれません。
 また最近、朝5時に起き即座に庭にたちます。横たわっていた眠りの風景を縦にして、庭にでると異常にからだが重たく感じるのです。それは 脚が弱っているからだと教えてくれた人もいましたが、そうかも知れませんが、これもgでは量れないからだのなかの重力のあらわれなのだと判断しています。
 ですがこの事態にもやり続けると慣れてきます。慣れてくるとからだの重みは薄れ、こんどは脳が庭に立つのを拒むのです。眠レ夢ノ中デモ庭ニ立テル と、それを振り切って白濁の息を吐きながら立つのは、まず成果がどうであれ日々の一時一時の行為こそが道を造ると感じているからです。天空に向けて鋭く発声し縦に谺するようには音は聞こえませんがこのからだの胸部から脚に向けて、脚から地面に向かって細々とした道がはじまっているのだと感ずるのです。それは列車の出発でもあるようです。きのみきのままに飛び込んだ列車です、あとあと、これが足りない、あれを忘れたという事態がおこりますが、ともかく列車に乗っているのだ、コイネガっていた出発が始まっているからだと安堵もします。
 そんなことを妄想していますと、白濁の息も薄くなり重たい重力にも慣れるにしたがって、一つの駅を通過し一つの風景を車窓から垣間見ていた感覚も薄れてきます。
 
 話は変わりますがこの秋にバ―モンド州の紅葉を堪能なさったと聞きました。こちらも山間の紅葉はおわり都市周辺にも色づきが接近、同時に冬の到来が朝夕日々刻々と姿を現しています。いよいよ日本も冬にはいります。わたしの隙間だらけの部屋に、ことしは寒いぞと予感が犇めいています。』
 
 
 
 
10月の庭劇場
『 道  々 』
 
10月22日(土)~30日(日)
 
 先月の庭は、初日、台風の直撃でした。一度の突風で庭を囲むブルーシ―トは引きちぎられ、客席はでんぐり返り、地面が揺るぎドカンと爆音、向かいの高校の可動式鉄製門がひっくり返った。わたしは部屋で外を眺めていましたが、戸が弓のようにしなり、嵌め込み硝子が膨らんだ。背中で硝子戸を押さえつけていると、小学生の時分に覚えた歌が甦ってきた。
 
 だれが風を見たでしょう
 ぼくもあなたも見やしない
 けれど木立が頭をさげて
 風は通りぬけてゆく
 
 そんなことがきっかけになったのか、以後、朝5時の目覚め、間髪おかず庭にたつことが度々です。寝起きでの首つりは、睡眠時に横たわっていた風景をいきなり垂直にする塩梅で、からだは鉛を羽織ったように厚ぼったく重い。
 
 ∮わたしは庭が終われば、庭とつながる部屋に戻ります。観客は家路へと駅に向かうでしょう。国立駅ならば徒歩二十分、直線道の街灯の灯りが夜を照らしています。あたり周辺には10月の草木や岩の陰で、10月の虫が鳴いています。次第に音は膨らんで歩く人の聴覚をつんざきます。立ち止まれば、空気は静謐に暗くなります。歩く人は道々なにかを念頭しているでしょう。
 そのとき、わたしもまた庭の周辺を散策すべきなのだろうか。仮にそうしたとしても、庭はわたしの存在などもはや眼中にないと感じるのです。行為の内密は駅に向かう道々の歩く人に変容しているのだろうか。歩く人は改札口を通り、電車に揺られ、やがて道々の虫の音も遠く過ぎてゆきます。わたしは庭のすぐ脇で庭から弾き出されて、炬燵に足を入れ夢路に入ってゆく。すでに行為は草木国土の掌中にあると、わたしは、わたしではない円の外縁にわたしの可能性が位置していると、ある親しみと安寧の可能性を、ただ眺めることはできる世界として感知できるだろうと。
 
 
 
 
9月の庭劇場
「 9 月 の 庭 」
 
9/21日(火)~30日(金)
 
●ある日の日記帳から。
 朝5時起床。庭の準備。 先日、写真家の宮本隆司さんが来庭し、岡本太郎展を観たと。三月十一日の大地震と大津波と原発の崩壊以降の緊迫においても、岡本太郎の作品は揺らぎがない、と感想を述べていた。 この庭も、庭ゆえに、不測の事態を日頃から感知していた。巷間では2012年の12月12日が地球の試練の日だと、そうなればもはや椿事を待つとは云えない。庭はそんな日を焦点し進んでいる。
 
●またある朝の日記。
 三次元の成立の基礎は二次元にあり、二次元の成立は一次元なくしては成り立たない謂で云えば、四次元は三次元を基において現象している。三次元に生きる条件は栄養分を必要とする。鉱物も光年の果てには腐るだろし、われわれのようにタツキ(生計)のない幽霊は、全体ばかりで細部がみえない。太陽の光。人類の長い年月もひとりの人間の寿命と同様におはようとこんばんわの構造の中で展開される。いま、朝の光が射し込み、壁にオレンジ色がパッとあたった 。あたったところが青山だ。われわれは任意に円を描く。百人いれば百の中心がある。だが、任意だ。光は貫く。
 
   * * *
 
 以前から、わたしの表現をアクションと言っています。片仮名読みの連想でハックョン。くしゃみを思案したが、くしゃみは事を破き、外部に毒素を振り撒く。毒素を持つには覚悟がいる。現実の裂け目を特攻す私案がいる。わたしに欠けている。決闘はできなかった。光陰は瞬く間にちろりと過ぎた。だが身体は残った。気づくと一日のように光陰は身体の細部に宿っている。奥へ奥へとどこまでも、細部の細部へとどこまでも、わたしを透かし匂っている。
 
 
 
 
8月の庭劇場
 
「 朝顔がイッパイだ 」
 
8月16日(火)~19日(金)
 
 さきほと、庭の椿に、蝉が飛来し、とまった。啼かないところをみると、雌の蝉かも知れない。庭に、蝉の這い出た穴がひとつある。まさかその蝉ではないにしても、地上での生命が、あとひと月あまり、這い出るまで、庭の土中に六、七年、生息していた訳で、わたしの生活に関与しないと謂えども、ともに、いちにちの観が沸き起こってくる。
 
 かって、ノルマンディで、ひと夏滞在していたとき、右目の彼方に見える雲が、形を変えながらゆっくり眼前を通過し、左目の方角に流れてゆく様を、一日かけては眺めていた。きょうという一日の時と空は、人間の長い年月の、栄枯盛衰をも瞬きにしてしまう、寿命の長さを感じる。
 この一日の寿命は、蝉だけではなく、ほかの生物の生命と、実に、ダイレクトに繋がっているのではなかろうか。なぜなら、一日の行方は、また蝉の行方であり、人間の行方でもあるからです。われわれのいかなる実態も、この行方の範疇に入る。問題は依然として解決されていなくても、びくともしない一日の寿命のただ中に、いずれは、はらわなくてはならない負債を抱えて、われわれの栄枯盛衰は、いる。
 
 
 
 
首くくり栲象(タクゾウ)はかように行為しま
 
庭劇場、一年4ヶ月ぶりの再開をお知らせ致します。
 
「 食事の報告 」
 
7月2日(土)~10日(日)
(9日間毎日)
 
 いにしえの書によれば、天上に住む天女もわれわれ同様に、やがては衰えるらしい。天女の五衰と言うそうですが、兆候として、その一は「頭上の華鬘たちまち萎える」、その二は「天衣に塵や垢がつく」、その三は「わきの下に汗が流れる」、その四は「両目がまたたきをし」、その五は「今までの住居を楽しまなくなる」。どれもこれも我が身に覚えのある項目ですが、わたしはその五が一等恐ろしく感じます。天女にとって住居と存在は同一と読めるからです。
 
 理論的な図式は出せませんが、庭で、首を吊り、重力の棒のように地面に着地したとき。その周辺の気配をいま妄想するなら。ビッグバンで飛び散ったガスの先端が、大きな力で引っ張られている有り様が、やわらかな稲妻のよう頭上で閃いていた。  ついでに低能の大口をたたきますが。
 
 われわれの生の知覚は、地球上から眺める認識だけで納得し得ているわけではないでしょう。毎日とは謂わずもがなですが、屋根なし、雨ふり、客なしの庭で、したがって楽しみ薄い首つりと着地の行為を繰り返していると、妄想というアンテナが雨後の竹のように伸びて、空間に漂い、ところどころに位置を定めだします。
 
 いずくから哄笑が聞こえてくる気がする。わたしの細胞は宇宙のどこまでも伸びてゆくビッグバンのガスの動きをキャチして止まない。ガスの中で生と死はキッチリ同居し、全く同じ活力で密着している。なぜか笑われても恥ずかしくならない。それは重力を棒の如く貫かれた身体が、哄笑こそあの宇宙を膨張するガスの先端であり、勢いの実体であり、地球の重力と深く照応する。
 
 さて、庭の行為はもとより作品ではありません。しかし庭をやっているうちは、生の顕界の泡も湧きます。次第に死の霊界の霧も所望します。愛着もでてきます。
 わたしという細胞群がこぞって云うに、生と死を分けたり隔てたりするな。同じもだ、切断するな。
 かように翻訳している、庭の昨今なのです。
 
 
 
 
首くくり栲象(タクゾウ)はかように行為します
 
ARICA第20回公演
 
「 蝶の夢 / Butterfly Dream 」
 
2月17日(木)・18日(金) 
 
首つり男よ、
見る前に、飛べ!
Hang Man,
Leap before you look !
 
空間を読み、音を積み上げ、光を計る。いつも緻密な仕掛けを準備して、ARICAは舞台に臨んでいる。
 
しかし、そこに何かを起こすのは、結局、舞台に立つ人間だ。毎日首をくくり続ける鋭利な男と、深遠な意識に体を充たしゆっくり歩行する女が、企てを超えた事件を起こす。何が起こるのか誰にもわからない、私たちはその目撃者になる。
 
首くくり栲象
 
      ━━━━━━━━
 
首くくり栲象は、1960年代から伝説の美術家風倉匠、高松次郎、松澤宥らとの交流を重ねてきたアクショニスト。 1997年より現在まで10数年もの間、毎日自庭で首を吊り続けるという高踏行為を刻んでいる。対する安藤朋子は、故太田省吾の転形劇場から始まって現ARICAに至るまで、無二の特異な身体表現をもって実践を続けている。この二人をARICA演出家・藤田康城が奇跡的に遭遇させた。 二人が閃光のように一瞬交錯する、滑稽にして哀感深い前代未聞のパフォーマンス。
 
 
 
 
2010年
 
3月の乙女椿は花盛り
 
3月12日(金)~27日(土)
 
  首つりの行為を何十年とやってきました。なぜ始めたのかと、長い間、自らに尋ねてきた。動機は幾つか考えられましたが、うなづけるものはなかった。
 
  ずいぶん昔の話、電車の中で、向かいの席にいた年上の男性に『君の惜しむらくはね、悪魔的でないことだ。』といわれた。
  栲象は顔を赤らめ目を伏せた。
 
  その年上の人は一昨年なくなった。
 
  死してくれた多くの精子との再会。日は昇り、風立ちぬ。ここに掛け値なしの歓びを。月面から眺める地球の水を、水という文字を掌に書き、水という感触をバチャバチャさせて、薄暮の中、テッシュペイパ―の重みと握手。
 
  3月の庭は乙女椿が花盛りとなるでしょう。
 
 
 
 
月のルンナ
 
2/14(日)~2/27(土)
 
  この世界でもっとも速い動きは電波ではない。
 光だ。だが光よりも早く動くのは、祈りだ。食料や医療の援助は、その祈りの後からやって来る 。まさに、かようなことを体現したひとがいる。マザー・テレサもそのお一人でしょう。
 
  小説家の山口瞳が直木賞をとった直後、山本周五郎に編集者の仲介で呼び出され、一席あづかった。話の内容は、作家たるものの心得だった。
 「何件も出版社を掛け持つな、一社に絞れ、そうすれば経済的にも融通が効いて、安定がえられ、小説に集中できる。かりにその一社をしくじっても、心配するな、次の朝から町内のどこかを掃除するのです、そうすれば誰か見ていて、なんらかの仕事を君に与えてくれる。」といったそうだ。
 その山口瞳が住んでいた国立市には三つの駅がある。その内、中央線の国立駅と南武線の谷保駅は互いの南口と北口で、三キロの直線の隔たりで面と向かい合っている。国立駅は一橋大学の所在地でもあり開発され、賑わっている。一方谷保駅は、近くの谷保天神、初詣の人出のあとは場末な風情だ。
 
  その谷保駅の周辺を毎日清掃していた小柄で、すこしビッコをひいたおじいさんがいた。 駅の階段下に掃除道具を整頓し、一日になんどもなんども駅界隈を清掃されていた。俄か雨に濡れ、雪の日は、頭髪や衣服やごつい手に雪を積もらせ、季節を問わず嵐の日も白髪が混じった薄い髪を無防備に晒して、塵取りとホウキで車道の真ん中にも清掃し てゆく。
 そのおじいさんの姿が、ある日を境に忽然と消えた。
 
 谷保駅前のマックでコーヒーを飲んでいたとき
 「やはりいないと寂しいね。」と老婦人の声。ややあって
 「 脳溢血だってよ、みよりがないし、 国の費用だから八王子でお骨にしたんだろうね。」
 「新潟が出身地だそうだ。」という対話が聞こえた。
 
  しばらくして、駅階段下にべつなご婦人がたが姿をみせ、卓上が設置され、白布の上に幾つかの花束と写真が飾られ、おじいさんを偲ぶ祭壇が造られた。次の日、常駐のタクシードライバーに
 「タクシー会社に委託されて、周辺を清掃していたのですか」と尋ねてみた。
 「いや、あの人はね、 自主的にやっていたのだ。」と答えが帰ってきた。
 
 自主的に。首くくり栲象の庭も自主的な公演を続けている。
 
  昨年の2月末の朝、思い立ち、高尾山に登りました。もどって庭に立ち、一年間の庭劇場の開催を決めた。
 まず、室内に積み重ねられた物を減らすべく、行動にでた。2ヶ月間で3分の2を棄てた。ガランと、あらたまった部屋。初夏は清々しかった。冬の朝、太陽の光線が、東の窓からさんさんとふりそそぐ。陽が沈めば隙間だらけの室内に、外気よりも冷え込む冷気が満ちてくる。
 
  1月が過ぎてはや2月、こんかいの庭劇場で丸一年間、開催していたことになる。普段も庭に立ちますが、開催の夜にまさる夜はありません。たとえ無客であっても、不思議な光沢で時がそこに臨在してくる。
 
  暑いさなかも、寒いさなかも、客席にいらしたひとびとに感謝を申し上げねばなりません。 ありがとうござました。 2月の庭もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
 
 
1/10(日)~1/30(土)
 
  庭劇場の庭は真実にわしづかみにされています。
まず天がありそこから降り注ぐ真下に庭があるからです。
 
  真実とは何か。
  それはすでに感知されています。
ただただわしづかみされている気分に不快があるか、不満があるかないかの心底にかかっています。
  わしづかみにされているのを気味悪く侮蔑に思うか了解するのか。
それが庭の重心です。
 
  夜空は暗雲!満天に煌めく星空!
それはファンタジーではなく庭の事実です。
 
  12月末の十二日間の庭劇場で五日間。
観客なしの毎夜がありました。
 
  五日目の数分前、庭さきから音が聞こえました。風の音か足音か判断がつかなかった。庭劇場は観客なしでも、開演時間になれば庭に立つのが自慢の種でありましたが、そのとき興った聴覚の混乱は 首くくり栲象の孤独を鳥瞰しました。それは渓流にさらされた岩の冷たさであり、また道端の雑草の茎のようでもありました。
 
  庭は静謐に冷え込んで、客席には風が透明に座っていました。からだの大方は透明な風に親しく対応したが、不服な肢体の一部は青白い落胆の色を浮かべています。
 
  すると、先だっての深夜の体験が甦ってきました。一本の直線の道が街灯の灯りに映えて薄くぼんやりと見えます。どこまでもつづく一直線の道で、途中に凹んでいるのか視界から消えて、さらに先に道が現れています。わたしが歩くと、その周辺の時間や空気が一緒に動くのが察知されました。背中に、肩に、からだは石の容量のようには固定されてはいなかった。わたしが動けばともに動くものがある。それはすでに何度も庭の中で察知した空気観でした。
 
  今を生きていること、その界隈をも共有として、わたしに伝えているのを感謝しないわけにはいかなかった。
 
 
 
 
 
2009年
 
修 学 旅 行
 
12月10日(木)~24日(木)
 
 
 
 青年は幻をみる
(どんなに強く強く為そうとしたことだろうか)。
 
 老いは夢をみる
(どんなに弱く弱く成そうとしことだろうか)。
 
 固かった前歯のように幻は消え、柔らかな舌が嬉々として実を結ぼうと夢をみる。 だれにも可能なこの夢の条件はただひとつ、老いることだ。
 
 では目眩は。幻と夢の間に位置するのだろうか。
 
 だとしたら齢六十二になる首くくり栲象は、さしずめ目眩の大々円を迎えている。
 
 なるほど目眩を興しながらも、若さなど真っ平ごめんだという気分になるのも頷ける。 翻って考えれば、自分の若さとは相性が合わなかった。目眩も外国語のように修得しがたかった。だが、夢には質があいそうだ。
 
 弱く弱くなろうとする夢は、夢自体の衰退でも、膨張でもないだろう。
 
 そのむかし、修学旅行で京都と奈良にいった。どこの寺院だか記憶にないのですが、太い柱のど真ん中に、人ひとりとおれるか、通れないかの長方形の穴が開けられていました。ガイドの女性がこの穴を通りぬければ、いかなる願いもかなう言い伝えがあると説明した。 誰も試みなかった。意を決し、その穴を通り抜けた。
 
 それから四十四年。体型は変わらないが、再びあの穴の前に戻ろうという気持ちはない。老いの夢を乗せて、いまこそ修学旅行の汽車に揺られている気がする。
 
 
 
 
マ ジ ッ ク
 
11月18日(水)~23日(祭)
 
 むかし 触沢(ふれさわ)という名前のボクサーがいた。フライ級で闘っていた。フアイティング原田の時代なら各階級にチャンピオンが一人で、大場政夫の時代ならばWBAとWBCの2団体でチャンピオンは各階級に二人ということになる。定かではないが、触沢はそれ以降の選手だったろう。
 ともかくかなり前の話で、触沢は世界ミャンピオンに一度だけ挑戦した。その試合をテレビで観戦していた。チャンピオンは外国人でその闘いぶりは記憶しているが、名前は蘇ってこない。
 
 触沢のトランクスは黒地で裾がやや長めで右側に十字架の刺繍が白く施しされてあった。 セコンドの中に、裾の長い牧師服を身につけた本物の日本人牧師が混じっいる光景が画面に映し出された。触沢はクリスチャンだった。二人は各インターバルともなれば共にお祈りをしている。
 
 (まことにあなたがたにもう一度告げますもしあなたがたのうちにふたりがどんな事でも地上で心を一つにして祈るなら天におられるわたしの父はそれをかなえてくださる)
 
 ラウンド開始のゴングは鳴り、その度チャンピオンのパンチは触沢の右顔面を叩き、左顔面を叩き、完膚なきまでにとチャンピオンのパンチは触沢の頬を叩き始めた。事は聖句の謂いの通り、左の頬にも右の頬にも、証は顔面に赤く腫れ上がってあらわれた。
 
 「求めなさいそうすれば与えられます捜しなさいそうすればみつかります。」
 
 と触沢と牧師は試合中に求めたであろうし、捜しもしたであろう。
 その聖句には続きがある。
 
 「 叩きなさいそうすれば開かれます。」
 
 触沢のパンチはチャンピオンの顔面はおろか体にも届きはしなかった。
 もはや「叩く」相手はチャンピオンではないと閃いのだろうか。パンチは空を突き、打たれたるばかりになった。 レフリーは試合を止めた。触沢の顔面は無残に崩れていた。
 
 
 必敗の感覚という謂いを首くくり栲象は長い間こころに泊めてある。
 それは誰と対話しているのではなく、黙って産まれ、黙って育ち、黙って、逝く。
 そういった脳裏の出来事の音信で聴いている。
 皮膚の細胞から雫か棘ように感触している。
 棘にこじつければ薔薇の幹の上には花弁が柔らかに萌芽している。
 雫に喩えれば溶けて下に流れる。
 花弁に地上の歓びがあるならば歓びとは遠方の方角を、雫に震え、棘に刺された心臓の音を必敗の感覚と捉えているのかもしれない。
 
 自己実現の地上の歓びとは反対のベクトル。
 
 この雫や棘が、脳裏のなかで帰化するか否かは、ときに庭で霞を食べて生くるべく兆を、耳の後ろ側に予感する、マジック!に架かっている。
 
 
 
 
 
ラブレター
 
10月18日(日)~28日(水)
 
  先日ひとりの息子が死んだ。57歳だった。死因は病死と報道されている。
  息子は衆議院議員だったが、先の選挙で落選し、その直後の死であった。息子の父親もかっては衆議院議員、小さいながら派閥の長で、いちど総裁選に立ち惨敗した。その直後、すべてを取り仕切っていた秘書に辞意を告げられ、激しい確執の果てに、自殺した。58歳。政治的な理由といわれている。
  以後、息子は父親の地盤を継ぎ当選を重ねたが、さきの総選挙で惨敗し、比例区でも元秘書に当選を阻まれた。
  彼の死を聞くに及んた父親の元秘書であった議員は「こんなことになるとわかっていればもっと話をするのだった」というような意味でいい、ハンカチで瞼の辺りをぬぐった。含蓄のある言葉と仕草。
 
  人間はある程度に歳を取れば、こんなことになると、わかる、頭脳を持ってくる。いや、それを「知らない」と言える頭脳こそを、喪ってゆく。
  生存にとって、死は跳躍であって、産まれてきたように死を生によって受諾することは希望であろうが成しがたい。何故なら死は、生存の自力の過剰と繋がっているからだ。
  しかし、また、過剰はどこかで平安と照応しているのではなかろうか。あるいはこの二つはひとつで同質なもの、ただ、呼び名の違いだけではないだろうか。
  過剰がまず天に宿る。(すると平安も天に宿っている)
  次に地に降り注ぐ。地上に芽生えるのは過剰か平安か、われわれの呼び名の違いが証明している。
 
話を含蓄のある元秘書の言葉にもどします。「こんなことになるとわかっていれば…」と。むろん。 わかってはいない。わかっているのは、他者の死ではなく、生存の過剰を重ねる側の、行方にある。
  では、平安は。 あるだろう。呼び名を違えて、息子に。
 
 
 
 
ゆ  す  る
9月23日~30日
 
「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。」
(新約聖書ローマ人への手紙)
 
 
 
 
シ ェ イ ク
8月27日~9月2日
能書きなし
 
 
 
 
憧  れ
8月12日~18日
 
 
 
太陽はあいかわらずなのに、地球もあいかわらずの軌道上にいるのに、人間の破壊力はますます傲慢になってくる。
地球を使い果たすまでコキツカウ宿命。
隠された絶妙なメロディー。
母親の胎内から飛び出し、動物になった瞬間から発動する野蛮活動。
興味津々の観察力。
このことに関しては、科学や医学や建築土木や戦争や巷の犯罪はもとより芸術も深く関わっている。
なにごともそのままではしておけない性分は、宗教にもかかわってくる。
 
楽器を触れる前から奏でられるメロディー。
 
胎内で終焉することと、産まれて人生がはじまって終焉することとは、歴然の差異がある。
メロディーが違う、一方の夢ともう一方の夢はチガウ。
もう一方の夢は、夢をみればみる程に、太陽の光線を羨望して濁る。
すべての進化は、呪われつつ躍動する。 先見の灯台は煌々と光っていた。
老いろ!
 
ああ 憧れる! 出産のゼッテン。
オギャアとさけんだとき、血をはくべきだった。
それにしても、親鸞や明恵のように、鎌倉時代の優れた宗教ものが、生涯念仏唱えて、あるいはひたすら座禅で生涯をおえて、じごくに堕ちても悔いない。となぜ宣言するのだろうか。あえてそう宣言しなければ、修行は耐えられないものだったのだろうか。 それとも。 それとも。人間いかなるなんびとといえども、地獄に堕ちるに決まっているからなのでしょうか。
親方たしかにおまえさんの頭の中には地獄がありまさぁ。
その歳にもなって、かわいそうに、もう取り返しがつかないだろう。
親方、人間は食べて夢見る機械ですぜ、おまけにやることは畜生ときてまさぁ…………。
機械がとまれぱ、それまでてさぁ、食べて夢見て、なんにものこりませんぜ。
 
 
 
 
エ ン ジ ョ イ
 
7月27日~8月1日
 
 かってドイツ・ベルリンで公演のとき、年配のドイツ女性にクビククリサンと連呼され、その声の響きがあまりに明るく澱みなく、もしや日本語の首くくりの意味を間違って理解されているのではなかろうかと勘ぐり、自分の行為を忘却し呼ばれる度に、ドギマキしていました。
 
 想えばそのときの反応が、首くくり栲象のネイミングムにエンジョイのこころざしが、種を探し求めたのかもしれません。
 ともあれそれ以来、首くくり栲象にとって首を吊る行為が、エンジョイされているかいなかが、密やかなる探索になっています。
 
 年に少なくみつもって、観客なしで300日加えて、庭劇場公演ごとに首つりは挿入されるているのですから、好きこそものの上手なりの例にもれず、それなり盤石な首つりの日々を過ごしていると思っていますが、こと享楽の穂が垂れ程に実っているかといえばと…。
 
 率直に言えば、首くくり栲象というのネイミングは、解剖者の敏腕が手動するメスの呼応し、解剖される恥ずかしさも織り込んいるのです。
 むろん解剖は生体でも事件がらでもありません。単に解剖されている夢の中のイメージを、蜂起させているにすぎません。
 
 しかし、なんで首くくり栲象はネイミングも、首つりの行為も恥ずかしいと覚えるのでしょうか。
 首をつった状態は恥ずかしいのは、恥ずかしさを真芯にして吊られているからでしょうか。第一、吊られた状態を維持している以外、もはや首くくり栲象にはやるべきことはないのです。
 
 では、首つりの行為は人間の尊厳を損っているのか。
 なかなか難しい自問です。やりたいのであれば隠れてやるべしと、まず自答します。
 
 しかし、はたしてそれでよいのでしょうか。
 頻発する現実的な出来事の倣いでいいますが、いかなる芸術においても、また、暴君の権力嗜好の数々の残虐においても、さらに、ひとり殺人鬼の卑劣で恐怖を呼び起こす口笛であろうとも、人間の尊厳を全面的に否定し、押し潰すことはできないと。
 いわんや首つりおや、贔屓目があるにせよ、私のおもうところです。
 
 拭いがたい絶望、剥がれやすい希望、陥りやすい妄想、不快、不愉快、愉快、卑猥、清潔、嫉妬心、屈辱、憤怒、復讐心、などなど、の歴史の真剣な濁流を集めても、微動だにしないだろう尊厳の巨岩。
 いや、かえって流されることが、海へ生命のふるさとの海へと向かうのであって、流されずにい居座っていたら、濁流に川底を削られゴロリと上流へと移動させられる。
 
 上流になにかがあるのだろうか。
 しんたいには、たましいの側に傾く望みがある。
 たましいには、しんたいの側に傾く望みがある。
 傾いた二つの鏡。
 青空が、逆さまにうつしだされその中へ。
 空中転落。
 エンジョイ!
 
 
 
 
身体その極みで絶望を 飛ぶ
 
7月7日~11日
 
 未まだない存在を、と念頭すれば幽霊は既視感がある。真夏の夜の物語だけでなく、堂々白昼の俄か雨も、愉快な幽霊の一変種ではなかろうか。
 
 俄か雨に射たれて遠方での記憶が甦えって、椿の花のようにポタリと土の上に落ちる、 そわ団子が虚か、貫く串が虚か。
 
 見えない串に接する団子のど真ん中で、くもんの囁と歓喜の響きが合唱する。大凧が風を孕ます構造ゆえに、風に浚われ空中に遊びまた失速するように、団子を貫く見えない串に、万人の宿命がかくされている。
 
 わたしの怒りは、小さく遠方にあるがときにこの庭劇場の上空に雷が飛来し、ズドンと墜落し私を貫通する痺れと痛みは、格別だが稲妻は寛大な無関心で走り去り、おそらく火山の真下へ、蜜蜂の巣のように甘露となって吸収されるのだろう。
 
 しんたいをはずれたらなにも成立しない。
 
 身体は休止する清さがある観念は、そうはいかないだろうなぁ。
 
 
 
 
 
『 記 憶 力 』
 
6月21日~30日
 
 
 
 やはり人間は好きなことをやらなくてはならないのです。それ一本で精神的にも食うや食わずの恩恵に浴して!
 
 しかし嫌な仕事も、忍耐力しだいで次第にイヤイヤがイヤに薄まり、その内なんだか、いやでもなくなったのかな? あれほど待ち焦がれていた食事の休憩時間が、あっというまにやってくると一切の努力が実を結ぶ事実もある。
 
 しかし、わたしは外国にいけば、そこいら中に外国語が転がっていて、わけもなく掴むことができると思っる奴なのです。(事実、転がってはいたかもしれないが、掴む努力をしなければ言葉は礫より痛かった。)
 そんなわたしですから、当然、何年かかっても一向にすきな仕事をみつけられず、さりとて諦めきれず齒六十を過ぎ、時間を滅ぼす舟にのっている。
 
 そこで、おもいにおもい努力と忍耐を怠ったのは、わたしに備わっいた記憶力にこそ、問わなければならないのではないか、と考えました。
 
 わたしの記憶力は、この地上の重力の厚い岩盤の下敷きになって、身動きできない性格なのだと思い付く。
 月面なれば半分以下の重力だ。自ずと岩盤も軽減されるだろうと、科学書で調べるつもりはないが、知って納得して信じて敢行するのが、記憶力の旗印の様相のひとつなら、 なんだか、この庭劇場の重力下、無知で無防備だが記憶力に似た旗印が翻っている既視感が湧く。
 
 記憶力は相変わらず岩盤の下敷きなのだから、これは幻想の旗です。
 
 目をつむれば千切れた一センチ四方くらいの白い旗だが、目を開けばドクダミの白い花を見ている。
 
 
 
 
『 海につながる日には 』
 
6月11日~16日
 
  海にだけではなく、山にでも草木にでも花にでも、空にでもつながる日には、人間につながる日にはとは記していません。それがこの能書きの主旨です。
 
  庭劇場は日々営まれていますが、このように公開公演もいたします。観客はなしのときもあります。いらっしゃる方もときにあります。
 そんなときはありがたく、庭にも庭の真上にもすべての事は調ったぞ、と胸をつくものが時を刻みます。
 
  首くくり栲象は観客を人間を知能有数なる所有者と印象するよりは、〈互いにおぎなっていかなければならないまれびと〉ととらえています。
 
  そのとき不可視な友情の火花が興り見られる側と、見る側の境界線が人間の造った視力、あるいは、社会の、あるいは、人間世界の造っ倍率では判別がつかめず、あたりは霞みがかり、幅の広い川の流れの帯に、身を不安定にくねらせているのが見えてきます。互いに手をつないではいないが、不足分をおぎなっている不思議さ。
 
  この庭劇場では、時代の芸術性も芸道の至技も見ることはできません。かかる時世の流行の話題性もありませ。
 しかし、あなたが客席にいらっしゃれば、庭にその真上に神秘な幻想な世界は調ってくる。首くくり栲象はそう決意し、庭での行為におこないます。
 
  観客はいない場合が大半です。こんかいはこのホームペ ージのみのご案内で、チラシはつくらず、口コミもしておりません。ですから万が一いらっしゃる方がおりましても、客席はあなたおひとりという事態になる公算が高いです。
 
  庭劇場は屋根がありません。雨の日も開催いさします。公演時間は五十分から長くても一時間内です。
 
 
 
 
 
 
『 観 光 地 』
 
5月5日~10日
 
どのような人物像でもよい
徹底者に出逢いたいならば
(しかし、おいそれとはいかないだろう、すでに出逢っているのに気づかなかったのだから)
それより己が自身を徹底者に仕立てる方が早い
 
顔はひと角の野蛮人
宿なしの歩行者
餓えはカラフルに胃袋をしめつけて断食の意欲を駆り立てる
 
(本当にのところオレには平凡は上等すぎた)
 
だから、見る。
芸のない行為だの、
観客のいない客席だの、
椿の木に揺れて棒立つ首つりだの、
 
その時も、いまも
淋しき夜はかたちをあらわして真芯にいる
それは強さだ
 
 
 
 
2008年
 
『 食事の支度 (したく) 』
12月16日~20日
 
 
 もしもし、聞こえますか。さくやの話のつづきです。あなたにはふたつのお顔があります「おはようございます」と「おやすみなさい」。わたしはあなたの周囲をまわっているのでたしかです。おかげさまで万物がうまれました。めばえたり、枯れたり、ふみしだかれたり、喰われたり、喰ったり、歯が抜けたり、輝いたり、消えたり、昼夜を分けたがわず天地に広がる情操の世界。時あやまたぬあなた。ふるえます。
 
 
 
 
『 光 陰 の 庭 』
11月5日~8日
能書きなし
 
 
 
 
『 庭 の 灯 』
8月18日~22日
能書きなし
 
 
 
 
 
 
『き色いへや』
 
5月23日~31日
 
 
 
風はどこから吹いてくる
 
君もあなたも
知りゃしない
 
けれど木の葉を
ふるわせて
風はとおり過ぎてゆく
 
太古より未来までも
き色い球は
太陽の周りを巡っている
 
天に星
 
地に草木
山はピカピカ
庭に穴ぼこ
 
火を焚きひとり
首ったけ
 
 
 
 
 
『わたしはカモメ』
3月25日~27日
 
眼下に一草
眼上に月
必敗のメロディー
耳つらぬきて
ビュティフルー
 
 
 
 
2007年
 
『夜の、マキマキ静かに緑で色づけば』
12月15日~22日
能書きなし
 
 
 
 
『罠(わな)』
10月25日~27日
能書きなし
 
 
 
 
『てのひらに不思議に夢か幻か』
5月10日~25日
能書きなし
 
 
 
 
 
 
 
 
2006年
 
 
夢まぼろしの行為公演
「虚構の空気が照る」
 
10月3日~5日
 
 雨がフレバ雨 ガマ蛙は真白い腹を見せて劇場を横切る 風が吹けば耳鳴りのスキマから虫の音が通りすぎて止まる
 
 見えるスガタは見えなくなり見えないスガタが滝のごとく立ち現れる 夢まぼろしの庭劇場展覧会。 いらっしゃい。
 
 
 
 
新・奇妙な果実
5月2日
日本アンダーグラウンド歌謡祭
能書きなし
 
 
 
 
魂のジュリエッタ
4月4日
美学校ギクメンタ
能書きなし
 
 
 
 
魂のジュリエッタ
 
1月18日~21日
 
 1947年安中榛名に生まれ。60年代からの生粋、首つりのパフォマー。
 
 この「魂のジュリエッタ」(45分)は、初演は昨年の12月 「吾妻橋ダンスクロシング」で室伏鴻、黒沢美香と共演した時に見つけたタイトルです。魂と付く限りそれは「時間」なのです。
 
 首くくり栲象は、気にいった衣服(時間)は擦り切れても着続ける。
 
 いま黄金色の靴を履き、夜の時間に付着する時間を着るとする 。この時間、(首くくり栲象は時間とは日本語の実感で、悔恨の衣服と開墾の衣服と捕らえている、着替えるにはまず脱がなければならないが、悔恨の衣服のうえに開墾の衣服を着る場合もある。) は気付いたときには、扉口は開いたままで風が吹き衣服は擦り切れている。
 
 地球のドレスも超速度で回っている。 その音は夏の太陽ではジィジィ音をたてて沈み、冬の月はコウコウと歌をうたって中空に浮く。
 
 まだまだ時間はあるのだ。庭劇場は箱劇場の崇高な頭脳虚構とは違い、第一の虚構は今の時期なら、まず寒さのうちに悔恨としてあらわれますが、さらに一瞬の一瞬に第二の虚構、(見ている人を見ている開墾の風景)を垣間見られる時もあるので、開墾も悔恨もいずれにしても前へ一歩進むのです。これが第三の虚構。
 
 暖かな格好でいらっしゃい
 
能書き top