─ 2011年 ─

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1 0 月 の 庭 劇 場


『 道  々 』

10月22日(土)~30日(日)

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 先月の庭は、初日、台風の直撃でした。一度の突風で庭を囲むブルーシ―トは引きちぎられ、客席はでんぐり返り、地面が揺るぎドカンと爆音、向かいの高校の可動式鉄製門がひっくり返った。わたしは部屋で外を眺めていましたが、戸が弓のようにしなり、嵌め込み硝子が膨らんだ。背中で硝子戸を押さえつけていると、小学生の時分に覚えた歌が甦ってきた。

だれが風を見たでしょう
ぼくもあなたも見やしない
けれど木立が頭をさげて
風は通りぬけてゆく

 そんなことがきっかけになったのか、以後、朝5時の目覚め、間髪おかず庭にたつことが度々です。寝起きでの首つりは、睡眠時に横たわっていた風景をいきなり垂直にする塩梅で、からだは鉛を羽織ったように厚ぼったく重い。

 ∮わたしは庭が終われば、庭とつながる部屋に戻ります。観客は家路へと駅に向かうでしょう。国立駅ならば徒歩二十分、直線道の街灯の灯りが夜を照らしています。あたり周辺には10月の草木や岩の陰で、10月の虫が鳴いています。次第に音は膨らんで歩く人の聴覚をつんざきます。立ち止まれば、空気は静謐に暗くなります。歩く人は道々なにかを念頭しているでしょう。
 そのとき、わたしもまた庭の周辺を散策すべきなのだろうか。仮にそうしたとしても、庭はわたしの存在などもはや眼中にないと感じるのです。行為の内密は駅に向かう道々の歩く人に変容しているのだろうか。歩く人は改札口を通り、電車に揺られ、やがて道々の虫の音も遠く過ぎてゆきます。わたしは庭のすぐ脇で庭から弾き出されて、炬燵に足を入れ夢路に入ってゆく。すでに行為は草木国土の掌中にあると、わたしは、わたしではない円の外縁にわたしの可能性が位置していると、ある親しみと安寧の可能性を、ただ眺めることはできる世界として感知できるだろうと。

                       首くくり栲象

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