─ 2011年 ─

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9 月 の 庭 劇 場


「 9 月 の 庭 」

9月21日(火)~30日(金)

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●ある日の日記帳から。
 朝5時起床。庭の準備。 先日、写真家の宮本隆司さんが来庭し、岡本太郎展を観たと。三月十一日の大地震と大津波と原発の崩壊以降の緊迫においても、岡本太郎の作品は揺らぎがない、と感想を述べていた。 この庭も、庭ゆえに、不測の事態を日頃から感知していた。巷間では2012年の12月12日が地球の試練の日だと、そうなればもはや椿事を待つとは云えない。庭はそんな日を焦点し進んでいる。

●またある朝の日記。
 三次元の成立の基礎は二次元にあり、二次元の成立は一次元なくしては成り立たない謂で云えば、四次元は三次元を基において現象している。三次元に生きる条件は栄養分を必要とする。鉱物も光年の果てには腐るだろし、われわれのようにタツキ(生計)のない幽霊は、全体ばかりで細部がみえない。太陽の光。人類の長い年月もひとりの人間の寿命と同様におはようとこんばんわの構造の中で展開される。いま、朝の光が射し込み、壁にオレンジ色がパッとあたった 。あたったところが青山だ。われわれは任意に円を描く。百人いれば百の中心がある。だが、任意だ。光は貫く。
 
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 以前から、わたしの表現をアクションと言っています。片仮名読みの連想でハックョン。くしゃみを思案したが、くしゃみは事を破き、外部に毒素を振り撒く。毒素を持つには覚悟がいる。現実の裂け目を特攻す私案がいる。わたしに欠けている。決闘はできなかった。光陰は瞬く間にちろりと過ぎた。だが身体は残った。気づくと一日のように光陰は身体の細部に宿っている。奥へ奥へとどこまでも、細部の細部へとどこまでも、わたしを透かし匂っている。

                       首くくり栲象

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