海にだけではなく、山にでも草木にでも花にでも、空にでもつながる日には、人間につながる日にはとは記していません。それがこの能書きの主旨です。
庭劇場は日々営まれていますが、このように公開公演もいたします。観客はなしのときもあります。いらっしゃる方もときにあります。
そんなときはありがたく、庭にも庭の真上にもすべての事は調ったぞ、と胸をつくものが時を刻みます。
首くくり栲象は観客を人間を知能有数なる所有者と印象するよりは、〈互いにおぎなっていかなければならないまれびと〉ととらえています。
そのとき不可視な友情の火花が興り見られる側と、見る側の境界線が人間の造った視力、あるいは、社会の、あるいは、人間世界の造っ倍率では判別がつかめず、あたりは霞みがかり、幅の広い川の流れの帯に、身を不安定にくねらせているのが見えてきます。互いに手をつないではいないが、不足分をおぎなっている不思議さ。
この庭劇場では、時代の芸術性も芸道の至技も見ることはできません。かかる時世の流行の話題性もありませ。
しかし、あなたが客席にいらっしゃれば、庭にその真上に神秘な幻想な世界は調ってくる。首くくり栲象はそう決意し、庭での行為におこないます。
観客はいない場合が大半です。こんかいはこのホームペ ージのみのご案内で、チラシはつくらず、口コミもしておりません。ですから万が一いらっしゃる方がおりましても、客席はあなたおひとりという事態になる公算が高いです。
庭劇場は屋根がありません。雨の日も開催いさします。公演時間は五十分から長くても一時間内です。
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