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庭劇場「能書き集」
2010年



月のルンナ

2/14(日)~2/27(土)


  この世界でもっとも速い動きは電波ではない。
 光だ。だが光よりも早く動くのは、祈りだ。食料や医療の援助は、その祈りの後からやって来る 。まさに、かようなことを体現したひとがいる。マザー・テレサもそのお一人でしょう。

  小説家の山口瞳が直木賞をとった直後、山本周五郎に編集者の仲介で呼び出され、一席あづかった。話の内容は、作家たるものの心得だった。
 「何件も出版社を掛け持つな、一社に絞れ、そうすれば経済的にも融通が効いて、安定がえられ、小説に集中できる。かりにその一社をしくじっても、心配するな、次の朝から町内のどこかを掃除するのです、そうすれば誰か見ていて、なんらかの仕事を君に与えてくれる。」といったそうだ。
 その山口瞳が住んでいた国立市には三つの駅がある。その内、中央線の国立駅と南武線の谷保駅は互いの南口と北口で、三キロの直線の隔たりで面と向かい合っている。国立駅は一橋大学の所在地でもあり開発され、賑わっている。一方谷保駅は、近くの谷保天神、初詣の人出のあとは場末な風情だ。

  その谷保駅の周辺を毎日清掃していた小柄で、すこしビッコをひいたおじいさんがいた。 駅の階段下に掃除道具を整頓し、一日になんどもなんども駅界隈を清掃されていた。俄か雨に濡れ、雪の日は、頭髪や衣服やごつい手に雪を積もらせ、季節を問わず嵐の日も白髪が混じった薄い髪を無防備に晒して、塵取りとホウキで車道の真ん中にも清掃し てゆく。
 そのおじいさんの姿が、ある日を境に忽然と消えた。

 谷保駅前のマックでコーヒーを飲んでいたとき
 「やはりいないと寂しいね。」と老婦人の声。ややあって
 「 脳溢血だってよ、みよりがないし、 国の費用だから八王子でお骨にしたんだろうね。」
 「新潟が出身地だそうだ。」という対話が聞こえた。

  しばらくして、駅階段下にべつなご婦人がたが姿をみせ、卓上が設置され、白布の上に幾つかの花束と写真が飾られ、おじいさんを偲ぶ祭壇が造られた。次の日、常駐のタクシードライバーに
 「タクシー会社に委託されて、周辺を清掃していたのですか」と尋ねてみた。
 「いや、あの人はね、 自主的にやっていたのだ。」と答えが帰ってきた。

 自主的に。首くくり栲象の庭も自主的な公演を続けている。

  昨年の2月末の朝、思い立ち、高尾山に登りました。もどって庭に立ち、一年間の庭劇場の開催を決めた。
 まず、室内に積み重ねられた物を減らすべく、行動にでた。2ヶ月間で3分の2を棄てた。ガランと、あらたまった部屋。初夏は清々しかった。冬の朝、太陽の光線が、東の窓からさんさんとふりそそぐ。陽が沈めば隙間だらけの室内に、外気よりも冷え込む冷気が満ちてくる。

  1月が過ぎてはや2月、こんかいの庭劇場で丸一年間、開催していたことになる。普段も庭に立ちますが、開催の夜にまさる夜はありません。たとえ無客であっても、不思議な光沢で時がそこに臨在してくる。

  暑いさなかも、寒いさなかも、客席にいらしたひとびとに感謝を申し上げねばなりません。 ありがとうござました。 2月の庭もどうぞよろしくお願いいたします。

首くくり栲象

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