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庭劇場「能書き集」
2010年





1/10(日)~1/30(土)


  庭劇場の庭は真実にわしづかみにされています。
まず天がありそこから降り注ぐ真下に庭があるからです。

  真実とは何か。
  それはすでに感知されています。
ただただわしづかみされている気分に不快があるか、不満があるかないかの心底にかかっています。
  わしづかみにされているのを気味悪く侮蔑に思うか了解するのか。
それが庭の重心です。

  夜空は暗雲!満天に煌めく星空!
それはファンタジーではなく庭の事実です。

  12月末の十二日間の庭劇場で五日間。
観客なしの毎夜がありました。

  五日目の数分前、庭さきから音が聞こえました。風の音か足音か判断がつかなかった。庭劇場は観客なしでも、開演時間になれば庭に立つのが自慢の種でありましたが、そのとき興った聴覚の混乱は 首くくり栲象の孤独を鳥瞰しました。それは渓流にさらされた岩の冷たさであり、また道端の雑草の茎のようでもありました。

  庭は静謐に冷え込んで、客席には風が透明に座っていました。からだの大方は透明な風に親しく対応したが、不服な肢体の一部は青白い落胆の色を浮かべています。

  すると、先だっての深夜の体験が甦ってきました。一本の直線の道が街灯の灯りに映えて薄くぼんやりと見えます。どこまでもつづく一直線の道で、途中に凹んでいるのか視界から消えて、さらに先に道が現れています。わたしが歩くと、その周辺の時間や空気が一緒に動くのが察知されました。背中に、肩に、からだは石の容量のようには固定されてはいなかった。わたしが動けばともに動くものがある。それはすでに何度も庭の中で察知した空気観でした。

  今を生きていること、その界隈をも共有として、わたしに伝えているのを感謝しないわけにはいかなかった。

首くくり栲象




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