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庭劇場「能書き集」
2009年
修 学 旅 行
12月10日(木)~24日(木)
青年は幻をみる
(どんなに強く強く為そうとしたことだろうか)。
老いは夢をみる
(どんなに弱く弱く成そうとしことだろうか)。
固かった前歯のように幻は消え、柔らかな舌が嬉々として実を結ぼうと夢をみる。 だれにも可能なこの夢の条件はただひとつ、老いることだ。
では目眩は。幻と夢の間に位置するのだろうか。
だとしたら齢六十二になる首くくり栲象は、さしずめ目眩の大々円を迎えている。
なるほど目眩を興しながらも、若さなど真っ平ごめんだという気分になるのも頷ける。 翻って考えれば、自分の若さとは相性が合わなかった。目眩も外国語のように修得しがたかった。だが、夢には質があいそうだ。
弱く弱くなろうとする夢は、夢自体の衰退でも、膨張でもないだろう。
そのむかし、修学旅行で京都と奈良にいった。どこの寺院だか記憶にないのですが、太い柱のど真ん中に、人ひとりとおれるか、通れないかの長方形の穴が開けられていました。ガイドの女性がこの穴を通りぬければ、いかなる願いもかなう言い伝えがあると説明した。
誰も試みなかった。意を決し、その穴を通り抜けた。
それから四十四年。体型は変わらないが、再びあの穴の前に戻ろうという気持ちはない。老いの夢を乗せて、いまこそ修学旅行の汽車に揺られている気がする。
首くくり栲象
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