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庭劇場「能書き集」
2009年



マ ジ ッ ク

11月18日(水)~23日(祭)


 むかし 触沢(ふれさわ)という名前のボクサーがいた。フライ級で闘っていた。フアイティング原田の時代なら各階級にチャンピオンが一人で、大場政夫の時代ならばWBAとWBCの2団体でチャンピオンは各階級に二人ということになる。定かではないが、触沢はそれ以降の選手だったろう。
 ともかくかなり前の話で、触沢は世界ミャンピオンに一度だけ挑戦した。その試合をテレビで観戦していた。チャンピオンは外国人でその闘いぶりは記憶しているが、名前は蘇ってこない。

 触沢のトランクスは黒地で裾がやや長めで右側に十字架の刺繍が白く施しされてあった。 セコンドの中に、裾の長い牧師服を身につけた本物の日本人牧師が混じっいる光景が画面に映し出された。触沢はクリスチャンだった。二人は各インターバルともなれば共にお祈りをしている。

 (まことにあなたがたにもう一度告げますもしあなたがたのうちにふたりがどんな事でも地上で心を一つにして祈るなら天におられるわたしの父はそれをかなえてくださる)

 ラウンド開始のゴングは鳴り、その度チャンピオンのパンチは触沢の右顔面を叩き、左顔面を叩き、完膚なきまでにとチャンピオンのパンチは触沢の頬を叩き始めた。事は聖句の謂いの通り、左の頬にも右の頬にも、証は顔面に赤く腫れ上がってあらわれた。

 「求めなさいそうすれば与えられます捜しなさいそうすればみつかります。」

 と触沢と牧師は試合中に求めたであろうし、捜しもしたであろう。
 その聖句には続きがある。

 「 叩きなさいそうすれば開かれます。」

 触沢のパンチはチャンピオンの顔面はおろか体にも届きはしなかった。
 もはや「叩く」相手はチャンピオンではないと閃いのだろうか。パンチは空を突き、打たれたるばかりになった。 レフリーは試合を止めた。触沢の顔面は無残に崩れていた。


 必敗の感覚という謂いを首くくり栲象は長い間こころに泊めてある。
 それは誰と対話しているのではなく、黙って産まれ、黙って育ち、黙って、逝く。
 そういった脳裏の出来事の音信で聴いている。
 皮膚の細胞から雫か棘ように感触している。
 棘にこじつければ薔薇の幹の上には花弁が柔らかに萌芽している。
 雫に喩えれば溶けて下に流れる。
 花弁に地上の歓びがあるならば歓びとは遠方の方角を、雫に震え、棘に刺された心臓の音を必敗の感覚と捉えているのかもしれない。

 自己実現の地上の歓びとは反対のベクトル。

 この雫や棘が、脳裏のなかで帰化するか否かは、ときに庭で霞を食べて生くるべく兆を、耳の後ろ側に予感する、マジック!に架かっている。




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