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11月の庭劇場
『 ニューヨークへの手紙 』

11月29日(火)~30日(水)
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 『Yさん、ご無沙汰しています。そちらはすっかり冬に包まれているでしょうね。 かって日常がエスカレーターの上を逆送しているようだと形容されていましたね、日本の風土で育まれたまんまのわたしには想像しただけでいまも膝がむずむずします。

 さて、11月も末になりました。 月日は早足です。今月も庭での行為を開催します。

 ご承知のように庭に天蓋がありませんから四季や節々の変化に敏感です。この時期、国立市街の銀杏はまだ金色に輝いてはいませんが、晴れ渡った夜道を歩くと天空にそびえた銀杏のてっぺんの先で星が輝いてみえます。その天空に向けて鋭くロケットのように音声を発しますと上空で空間と融合し花火のように膨れ谺となり縦に響き渡り塵のように地上に降り注ぎます。日本は万の国ですから、草木のことごとくに仏性を観ます。
 宇宙空間を体験した日本人女性の向井千秋さんが地球上に帰還し検査のため隔離室にいた際、一枚のテッシュペ―パの重みが感じられたといっていましたが、むろん重みは gの物言いではありません。 おそらくテッシュペ―パに宿る重力みたいなものでしょう。草木の仏性は重力かもしれません。
 また最近、朝5時に起き即座に庭にたちます。横たわっていた眠りの風景を縦にして、庭にでると異常にからだが重たく感じるのです。それは 脚が弱っているからだと教えてくれた人もいましたが、そうかも知れませんが、これもgでは量れないからだのなかの重力のあらわれなのだと判断しています。
 ですがこの事態にもやり続けると慣れてきます。慣れてくるとからだの重みは薄れ、こんどは脳が庭に立つのを拒むのです。眠レ夢ノ中デモ庭ニ立テル と、それを振り切って白濁の息を吐きながら立つのは、まず成果がどうであれ日々の一時一時の行為こそが道を造ると感じているからです。天空に向けて鋭く発声し縦に谺するようには音は聞こえませんがこのからだの胸部から脚に向けて、脚から地面に向かって細々とした道がはじまっているのだと感ずるのです。それは列車の出発でもあるようです。きのみきのままに飛び込んだ列車です、あとあと、これが足りない、あれを忘れたという事態がおこりますが、ともかく列車に乗っているのだ、コイネガっていた出発が始まっているからだと安堵もします。
 そんなことを妄想していますと、白濁の息も薄くなり重たい重力にも慣れるにしたがって、一つの駅を通過し一つの風景を車窓から垣間見ていた感覚も薄れてきます。

 話は変わりますがこの秋にバ―モンド州の紅葉を堪能なさったと聞きました。こちらも山間の紅葉はおわり都市周辺にも色づきが接近、同時に冬の到来が朝夕日々刻々と姿を現しています。いよいよ日本も冬にはいります。わたしの隙間だらけの部屋に、ことしは寒いぞと予感が犇めいています。』

   首くくり栲象

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