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「 山口と福島をつなぐ旅 」 その四
 
 2002年7月1日 山口市中心近くに 飯田哲也県知事選事務所が開いた。周南市や下関市などにも開いた。同じ日に、大飯原発3号機が再稼動した。また同じ日に、バックアップの電源までが失われ、関東圏まで全滅出来る量の使用済み核燃料を貯めたプールの温度が上昇していた福島第一原発4号機が、30時間ぶりに元に戻った。
 山口県を全国に先がけて自然エネルギー産業で地域起こしをする。それが原発行政を変える。地方自立、地域循環型コミュニティーの連携が、新自由主義と軍国主義の勢いを止める。飯田にはそのきっかけを作る力がある。そう直感した老若男女が、山口市ばかりか、県内外から勝手連に集まってきた。突然に思いを同じにする人達が顔を合わせ仕事を分担する。互いの人間性も見る。面白い展開となった。
 
 県知事選の告示は7月12日 投票は7月29日。 エネルギー革命、社会改革のマニフェスト。それだけでは物理的、左翼的な構造主義の枠を越えない、と直感した僕達上関原発反対運動を通じて知り合った仲間は、アートフルでヒューマンな選挙活動をしようとした。あの上関原発反対運動にも、美意識と物語性をラセン状に絡ませて育んできたつもりだ。どんな出来事も、心を通わせ美しく表現するように努めれば、味わい深い物語となる、と信じて。
 
 これまで山口で会った事のない色々な人と一緒に、ポスター張りをした、チラシをポスティングしたり手渡しした。ノボリを手にして朝夕の通勤自家用車に国道脇で挨拶をした。山口県をくまなく走破した若者の自転車部隊に市内で合流した。夜は有権者に電話をかけた。
 その一方仲間達は、選挙事務所を生け花や植木やロウケツ染めの幕や油絵で飾ったり、ライブコンサートや、緑の公園でお祭りを開いたり、周南市の若者は、選挙に行こう!サウンドデモをした。
 僕はそんな催しの行き来に、仲間のアーティストのローケツ染めワークショップで作ったノボリを荷台に翻し、自転車で町を走り、行き交う人々に声をかけた。全国的に有名な坂本やゼットやあいちゃんなどの音楽家や宮台、保坂、嘉田などの論客や政治家、鎌仲などの映画監督が飯田の応援に来たから、レベルの高いパフォーマンスや講演や街頭演説を味わい学習した。
 
 カンカン照りの日ばかりが続いた。日がたつにつれて、みんながテカテカに日焼けしていた。原発は、特に命を預かる女性にとって見逃す事のができない。これまでの政治家と違ってソフト微笑みながら実現可能な代替案を話す飯田に、多くの主婦や若い女性が集まった。女性は家庭内にとどまる傾向の強い山口県では珍しく、選挙活動にも良い効果を与えたようだった。
 
 選挙戦半ば当たりから、追い風に乗っているのを感じて来た。チラシを配っても、辻立ちしても、自転車で走っても、電話をかけても、反応が熱い。
 事実上の一騎討ちだった。民主党も共産党も候補者を立てずほぼ飯田支持に回った。相手の自民公明支援する山本繁太郎も危機感を募らせ、脱原発依存は当たり前、上関原発は凍結、とトーンを軟らげた。投票率が上がれは無党派票も飯田に入る。僕達はラストスパートをかけた。飯田の、山登りで鍛えたタフな身体はまったく疲れを見せなかった。対する山本は、投票日前の数日間、風邪をこじらせて姿を見せなかった。
 
 結果は、山本25万票余り、飯田18万票余りで負けた。他に立候補した二人が9万票余りをとって票が割れた事もあるが、投票率が前回の36%から45%に上がっただけだったのも祟った。反原発、反オスプレイをマニフェストにしていたから、公安警察もかなり山口入りしていたようだった。顧客からのクレームで勝手連から身を引いた自営業の仲間を何人か知っている。かなりの票は彼らに持ってきいかれたと思う。
 しかし何よりもの敗因は、自分達自身にある。準備のための時間が足りなかっただけではない。日常生活のきめ細かな努力が足りなかった。
 
 山口県保守の固定票は岩のように固い。60、70歳代の投票率は最も高く人口も多い。彼らは変化を望まない。20歳代の投票率が異常に低く、その多くが山本に投票した。現在の就職口を維持するために、会社の方式に従った。かって小泉政権を若者たちが誕生させた結果、派遣労働法で貧しくさせられ事を思い出した。他の若者の多くは、誰が知事になっても変わらない、とシラケている。山口市勝手連に参加した20歳代は3人のみ。意欲的な若者は関西関東北九州の大都市に出てしまう。
 しかし、瀬戸内海岸の周南市は若者も多く、飯田の古里でもあるからか、山本に勝った。光市、防府市、そして山口県最大の都市下関市、第二の宇部市、第三の山口市はもう一息にまで山本を追い上げた。
 善戦したから、県知事選後の各都市に、未来山口ネットワーク、が誕生、僕も会員となった。レギュラーに講演会やツアーを開き、飯田も顧問として参加している。選挙で知り合った人との人間的な交流も続いている。いつも何かの運動の、ひと山を越えて感じる事がある。あの選挙運動にも参加して良かった。
 
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