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「 山口と福島をつなぐ旅 」 その三
 
 いわき市に二泊した後、群馬への鈍行列車乗り換えの旅に入った。車窓に写る、田畑や里山。想いは、故郷を去ることが出来ない人々、そして虫に鳥獣、海の生き物に及ぶ。3.11直後に避難してきたアメリカ人を含む数人とどうするかについて話した。結論は被災地をメガ風力発電地帯とし、高額な借地料を払い、福島県人には政府が国有地を30年間無償で提供したり、全国で740万戸ある空き家を修繕して斡旋するなど、数々のアイディアがでたが、具体的に手を付けなかった自分たちの力の無さを思い知った。
 
 東京では、数年前亡くなった放浪の詩人、サカキナナオの晩年をテーマとしたビデオの編集の助っ人をした。今、彼の最後の生きざまを伝えたいと。
 大正3年鹿児島生まれ。ナナオの家は裕福な紺屋で、小学校に人力車で通うほどのだったが、人工染料に没落、市役所の給仕から東京の日本青年館や雑誌社の書記などをした。戦争勃発、徴兵、海軍のレーダー部門で特攻機が次々と消えて行くのを見つづけた。戦後は、農作業。そして全国放浪。その詩は、足で書いたみたいな味がある。1960年代後半に、新宿のフーテン達とトカラ列島や信州の山でコミューン生活を始め、その流れは今も続いている。アメリカのカウンターカルチャーと関わり、渡米し放浪した。日本で自然林や珊瑚礁の保全活動を始めた1人、言わば、井戸を掘った人である。僕も何回か旅を共とした。晩年には、カメラマンも一緒に。だから、この映像作品は完成しなければならないと、久しぶりのビデオスタジオにカンズメとなった。その後、製品化のメドがついた、との知らせが来た。製品化しなければ流通しないし、影響もしない。
 
 
 
 山口に戻ってからも福島を思っている。山口県出身の佐藤栄作首相が18基の原発建設許可を出し、その中に福島第一原発の1、2、3、4、5号機が含まれている。そのせいか、あるいは維新時の白虎隊の悲劇で知られる会津戦争の故か福島県人で山口県に避難する人の数は少ない。
 この60数年間、戦争はなかったが、故郷の山河と海は経済発展の犠牲となった。生活は慌ただしくなり、家族や近所の人と付き合う余裕がなくなった。世代と世代、男と女の間柄も疎遠となった。心の病、自殺。
 福島第一原発事故は、そのような国土破壊と人心荒廃を伴った経済至上主義の暗部を露見させた。その路線は限界を越えたのだ。事故の後、テレビに写った東京電力首脳や御用学者や政府の高官の人間性を感じられない立ち振舞いが、それを物語った。あの人達に運命を預けていたのだった。
 
 そこで、昨年の7月、山口県知事選挙に立候補した飯田哲也の選挙活動に参加した。山口県は、一貫して天下りの保守系知事、保守系首相も明治以来8人出している、という保守大国である。
 中央政府からの投資が多いのは、車で山口県に入ったとたんに道路が立派になることでも解る。、第二次大戦の後にも岸信介に始まり阿倍晋三にいたる山口県出身歴代首相の選挙地盤は、管直人の他は山口県にあり、血族関係で結ばれている。
 
 
 維新の主役、薩摩と長州は、関ヶ原で負けた後に、九州南端と中国地方西端に小さく押し込まれた。両者は幕府による攪乱を防ぐための厳しい監視社会を隅々まで引き、殖産振興、密貿易の利を図って実力を蓄えた。薩摩は名君が続き、戦国武士さながらの上位下達の気風を維持したが、長州は、藩主の良きに計らえ主義のもとに、配下の武士の協力体制が育まれた。
 維新後に長州が政治と陸軍の主流を占めるようになったのは、長州武士の伝統が官僚制度に適応したからである。徴兵制度も、第二次長州征伐に四方面から進軍してきた幕府軍に対抗するために、高杉晋作や、後に初代陸軍大臣となり首相も勤めた山形有朋などの結成した奇兵隊をモデルとした、と僕は思っている。軍隊用語の、何何であります!、は山口県の田舎の婆さんが今でも話す方言である。
 奇兵隊は武士だけではなく、僧侶や神官や医者も含むあらゆる階層出身者によって構成され、郷土の存亡を賭けた厳格な西洋式訓練にゲリラ戦、薩摩や外国商人から得た優勝な武器、そして監視社会を維持した隠密のもたらす情報によって、旧態依然の幕府の大軍を破った。
 
 薩摩の武士集団と共に全国制覇の主役となったのは、関ヶ原前の密約を守り実戦に加わらなかったにも関わらず、ほとんどの元毛利藩領土を没収された長州武士の恨みも原動力となっていたのだろうが、下層階級出身の奇兵隊員が、維新を成し遂げた暁に厳しい階級制度から解放されることを目指したからでもある。しかし、下層階級出身の、特に部落民出身の奇兵隊は維新後にほとんど粛正された。維新は市民革命とはならなかった。
 
 初代首相伊藤博文は足軽出身の下忍、最下層の忍者出身であったが、頭脳優秀で松下村塾に学び、情報収集や裏取引に優れ、少なくとも一件の暗殺に手を下したという経歴だけではなく、士族に取り立てられてからは、鎖国末期に長州藩がロンドンに留学させた五人、いわゆる長州ファイブのひとりとなり、下関砲台が西欧列強四ヶ国艦隊を砲撃するとの報を受けるや、留学を半年で中断し井上薫と共に帰国、高杉晋作の片腕として下関砲台が破壊占領された後、列強との講和に活躍、賠償金は幕府に払わせ、下関沖の小島割譲を阻止した。西欧では後発国のプロシャの憲法を日本に移植、明治憲法を制定して帝国主義の基盤を築いた。明治維新の、ほとんどが元中流武士だった元勲たちが彼を初代首相に推したのは、あいつは英語が出来るから外国との取引が上手いだろう、と言うものだった。
 この経歴を見ると、バリバリの欧化主義者であり、後の日英同盟への道を付けたとも言える。明治維新の裏には常にイギリスの影がある。日本の明治維新とアメリカの南北戦争はほぼ同時期。日清戦争と米西戦争も。その結果台湾を得た日本とフィリピンを得たアメリカとの関係が始まる。西太平洋と中国をめぐる新たな列強の関係は太平洋戦争、日米安保と経済のくびきにつながる。精神性と文化も英米に従属してきたと言える。原発もその流れにある。
 体制に貢献する者は下層階級出身であっても引き立てるという長州の実力主義も、薩摩の、あくまで武士階級の枠内に収まっていた実力主義を凌駕した。官僚制富国強兵政策を押し進め、西南戦争で盟友西郷隆盛を葬った大久保利通が暗殺に倒れた後は、長州勢が隠然たる影響力を、政界に張り巡らしたのである。
 
 その一方で、下層階級奇兵隊員が夢見た解放の火種は絶えず、共産党書記長となった野坂参三や宮本顕一を輩出したように、山口県の極左勢力は根強い組織を誇り、日本海側の萩市近くに原発建設計画が二度に渡って計画された時に、その計画を中止させた主な勢力は、共産党であった。
 
 山口県社会の底流には、室町、戦国時代に北九州も勢力下として大陸間貿易で栄え、京都の戦乱から逃れた貴族や芸術家や職人を受け入れ、山口盆地を西の京都と呼ばれるまで育てた戦国大名、先祖が百済から来たと言われる大内氏以来の、大陸貴族文化がある。
 大内氏が下剋上に倒れた後に中国地方を制覇した毛利家は、江戸時代となると小さな萩藩に格下げされたが、隠密制度で領土を守り、殖産と密貿易で国力を蓄え、明治維新を成し遂げた。
 維新以来、アグレッシブな人材は中央に出て行き戻らない。その傾向は、戦後となっても続いた。移住民を含む瀬戸内海工業地帯の気風は違うが、山口県の主流は、中央に出た政治家の選挙地盤を守り、中央政府のインフラ政策に依存する保守派が占めるようになった。
 その、空気のように当たり前の構造を変えようとする者が、たびたび地方選挙で当選したが、二期目の選挙で保守派の巻き返しに敗退する例が多かった。そんな山口県の政治風土に、このままじゃ空気さえも吸えなくなる、と未来を憂い、なんとかしなくては、と探る人も増えていた。
 
 4期16年間勤めた二井前知事のもとで、道路や大きなイベント用施設の過剰な建設予算と、人口減と不景気による税収減の結果、県の負債は倍増した。若者は就職のため県外に流出を続け人口も減少、老齢化は全国6位。多くの過疎村が5年から10年後には確実に廃村となる。
 それでも、必要のない道路建設は進み、高層マンションは立ち、ユニット式住宅の建設数は全国一位、という土建業界のみが盛んだが、国自体の財政赤字が膨らむばかりの情勢での、先は知れている。
 しかも、二井前知事は上関原発建設のために、予定地田ノ浦の埋立を許可し、座り込みなどの強い反対運動にも関わらず強行しようとしていた。その工事は、福島第一原発事故により凍結されたが、2012年7月の山口県知事選挙は、無風のまま、山口県出身の元国土庁官僚の天下り自民党系候補者が当選するだろう、と言う、うんざりする流れが続いていた。
 だが、その告示20日前突然に、やはり山口県出身で大阪府のエネルギー問題審議官や、政府、東京都、各県で自然エネルギーのコンサルタントを勤めてきたベンチャー科学者、飯田哲也が立候補した。
 
 石器時代から、エネルギー、食料、軍事の三つの要素が、人類社会の基盤となってきた。原子力発電は、エネルギーと軍事に関わり、その破滅的な流れを変えるにも、専門的な知識とノウハウが必要である。
 彼は、自然エネルギー産業による地域起こしを提唱している。まずは、県内で使うエネルギーを自給すれば、現在外から買っている光熱費を節約出来、同時に雇用創出する。との地域循環型経済の最初の具体案を出した。単なる科学者ではない。エネルギー以外の分野はまだ未知のようだが、あらゆる原理は同じ構造を持つ。次々と学習してゆけばよい。
 時代を感じさせる仕事と文化とコミュニティーがあれば、多くの若者が地方に居着く。若者のローカル指向、自然回帰の流れは、お金に換算出来ない価値を人生に見出す、という当然の欲求にも根差している。特にバブル崩壊と小泉政権下に推進された新自由主義グローバル経済の時代から、UターンIターン組が、地場産業や地域コミュニティーの活性化に目立った役を果たしてきた。
 
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